大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

岐阜地方裁判所 昭和34年(わ)62号 判決 1978年9月14日

本籍

東京都中央区銀座三丁目五番地

住居

岐阜県各務原市鵜沼南町二二一

会社役員

中尾初二

明治三八年六月一五日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について当裁判所は、検察官宇野博出席のうえ審理をして次のとおり判決する。

主文

被告人を懲役五月及び判示第一の事実につき罰金七〇万円、判示第二の事実につき罰金一三〇万円に処する。

ただし、この裁判確定の日から二年間右懲役刑の執行を猶予する。

右各罰金を完納することができないときは、金一万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

訴訟費用中別表4(訴訟費用負但表)に記載の証人に支給した分は、被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和二六年ころから大阪市北区小深町二五番地で金融業を営み、兼ねて同三〇年七月ころから岐阜県各務原市鵜沼南町二二一(当時同県稲葉郡鵜沼町七、四六二番地)において、料理旅館業を営んでいたものであるが、

第一  昭和三〇年度の所得税を不正に免れようと企て、金融業につき、貸付・取立等に際しては、新阪神株式会社など他人名義を使用したり、他人名義の銀行預金にする等の不正な手段を講じて所得の隠匿を図り、昭和三〇年度(同年一月一日から同年一二月三一日まで)における被告人の所得につき、少なくとも、四一三万二、二一七円であつたのに所轄税務署に対し、法定の申告期限である昭和三一年三月一五日までに所得の申告をなさず、よって右所得に対する所得税二〇五万二、五七〇円を不正にほ脱し、

第二  昭和三一年度の所得税を免れようと企て、金融業については前同様の、料理旅館業については、他人名義を使用して営業をなしし、二重帳簿を作成する等の不正な手段を講じて所得の隠匿を図り、昭和三一年度(同年一月一日から一二月三一日まで)における被告人の所得につき、少なくとも六二八万六、八九六円であつたのに、所轄税務署に対し、法定の申告期限である昭和三二年三月一五日までに所得の申告をなさず、よって右所得に対する所得税三三八万一、四二〇円をほ脱し

たものである。(別表1.2.3参照)

(略号等について)

以下の記述においては、次の略号等を用い、或は文字を省略することがある。

1  検察官に対する供述調書……検調

2  大蔵事務官に対する質問てん末書……大質

3  甲作成の上申書・回答書・答申書・証明書等……「作成」を省略

4  年号につき、「昭和」を省略

5  年月日につき、たとえば昭和五二年二月九日……52・2・9

6  株式会社………(株)

なお証券会社・銀行についてはすべて「株式会社」等を省略

7  押収番号につき、たとえば昭和三七年押第四七号符二三号………符二三号

8  公判回数を示すのに、たとえば第四回公判又はその調書………4<公>

9  記録の冊数を示すのに、たとえば第四冊・・・4冊

10  大蔵事務官を示すのに・・・<大>

11  被告人側の提出証拠については、証拠物を含めて、公判記録中に表示してある弁第 号という一連番号を以って表示する。(証拠物を示すについて押収番号を省略することがある。)

12  公判調書中の証人供述記録、当裁判所若しくは受命裁判官の証人尋問調書を、すべて証言調書と表示する。そして当該調書に公判回数を表示したものは、当該公判調書中の供述記載を、「年月日」をもつて表示したものは、その期日に施行された尋問調書を、「裁」をもつて表示したものは、当裁判所「受」と表示したものは受命裁判官の当該期日における尋問調書であることを、各表示するものである。

13  被告人の当公判廷における供述・・・被告人の供述

14  公判調書中の被告人の供述部分・・・被告人の供述記載

15  左の各証拠については下記の略号を用いる。

(1)  昭和三三年一〇月一日付大蔵事務官小林忠三作成の調査確認書(銀行預金出入明細書)(第一一一回公判で証拠調。記録第一五冊)・・・「預」

(2)  大蔵事務官加藤孝之、同竹市肇作成の「貸付金及び収入利息けい算調書」と題する書面(第五二回公判で証拠調。記録第一三冊。なお記録第一六冊の立証趣旨説明書(金融業関係)は、同一内容のものである。)・・・「貸」

丁数については、第一六冊の立証趣旨説明書の丁数で示す。

(3)  大蔵事務官加藤孝之作成の「有価証券売買業に関する売上及び仕入明細書」と題する書面(第五二回公判で証拠調。記録第一三冊。なお記録第一六冊の立証趣旨説明書(有価証券業関係)は、同一内容のものである。)・・・「有」

丁数については、第一六冊の立証趣旨説明書の丁数で示す。

(4)  昭和飛行機工業株式会社小沢武司作成の回答書(第六二回公判で証拠調。記録第一七冊一八五丁)・・・小沢回答書

(5)  第六八回公判調書中の証人小林忠三の供述記載の末尾に同証言を補充するものとして添付された同人作成にかかる一覧表(記録第一七冊三九〇丁)・・・小林一覧表

(6)  西田益三作成の名古屋国税局宛上申書の抄本(同人作成の「昭和飛行機株式買入明細及代金支払明細表」と題する書面が添付されている。)(第六二回公判で証拠調。記録第一七冊二四四丁)・・・西田明細表

(7)  大福証券株式会社永田福一作成の回答書(受渡有価証券記番号帳一部添付)(第二三回公判で証拠調。記録第六冊一八六丁)・・・大福番号帳

(8)  三伸証券株式会社三木喜太郎作成の「有価証券記番号帳写」と題する書面(受渡有価証券記番号帳の抜すい添付)(第二三回公判で証拠調。記録第六冊三四三丁)・・・三伸番号帳

(9)  三興証券菊池正之助作成の上申書(受渡有価証券記番号帳の一部写添付)(第五三回公判で証拠調。記録第一四冊二三丁。)・・・右記番号帳の部分を指す場合につき三興番号帳

(10)  野村証券株式会社備付有価証券番号台帳写(第九七回公判で証拠調。記録第二一冊。)・・・野村番号帳

(11)  検察官論告に添付する補充書面(昭和飛行機株の被告人の仕入株と売却株の突合結果資料)(第二六冊)・・・論告資料

(証拠の標目)

(全般につき)

一  小林忠三の証言調書(49・9・10受、58<公>以上14冊)

一  被告人の供述(27冊)及び各供述記載

一  被告人の各大質(12冊)

一  「預」(とくに銀行預金関係につき)

一  手帳一冊(符145号)(とくに四月二八日のらん「脱税を一日かかって読んだ」の記載)(とくに犯意の点につき)

一  手帳二冊(符8号、9号)(とくに山田隆からみた当時の被告人の行動、両者間の関係、被告人が貸金業を営み、かつ料理旅館業を営んでいた点につき)

(無申告の点につき)

一  <大>加藤孝之作成の電話聴取書(6冊)

一  <大>友田晋次の証明書(6冊)

一  <大>松原兼市の証明書(6冊)

(金融業関係)

全般につき

一  証人竹市肇の証言調書(52・8・10受、52・8・30受、52・9・21受、52・10・19受、以上24冊)

一  証人加藤孝之の証言調書(52・9・28受、52・11・9受、52・11・25受、以上24冊)

一  「貸」

一  手帳一冊(符144号)

一  手帳一冊(符144号)

一  ノート一冊(符141号)

被告人が新阪神(株)名儀など他人名儀を用いて金融業を営んでいた点につき

一  証人田口マサの証言調書(49・5・24受、14冊)

一  証人土肥照雄(36・8・23裁)、同中元兼一(36・8・21裁)の証言調書(以上2冊)

一  証人林辺広耐(38・4・22受)、同八巻正一(38・4・22受)の証言調書(以上4冊)

一  証人村瀬徳郎の証言調書(9<公>、11<公>、12<公>、以上3冊)

一  証人重政重職(36・8・22裁)、同二神卯太郎(36・8・23裁)、同神沢益二郎(36・8・23裁)、同西村正一(36・8・22裁)、同内田一郎(36・8・24裁)、の各証言調書(以上2冊)

一  証人村上忠治(48<公>)、同加藤正佳(49<公>)、同鈴木光平(49<公>)の各証言調書(以上12冊)

一  証人菊池六輔の証言調書(38・4・24、25)(5冊)

一  中尾正三の証言調書(109<公>、27冊)

一  川口将一の検調(22冊)

一  山根義雄の検調(22冊)

一  堀源一の大質(12冊)

一  藤本敬司の検調(14冊)

一  森下都の大質及び検調(24冊)

一  中尾正三の各大質(24冊)

一  大久保右治の検調及び大質(12冊)

一  早川庄太郎の大質(12冊)

一  後藤良吉、山田一、長坂長衛の各大質(以上12冊)

一  壁谷操の大質(24冊)

一  亀村辰之助、山成信、山口敏雄、光井貞輔の各大質(以上3冊)

一  沢野半蔵の大質(12冊)

一  検察事務官岡野新蔵の報告書(12冊)

一  神戸地方法務局の登記簿謄本(6冊)

一  大阪法務局岸和田支局の登記簿謄本(6冊)

一  検察事務官戸根将男の電話聞取書(6冊)

一  大阪府商工部長の回答書(6冊)

一  新阪神産業(株)会社重要書類原本一袋(符139号)中創立総会議事録、登記簿謄本、取締役会議事録各一通

一  新阪神産業(株)法人税決定決議書一綴(符195号)

一  所在不明法人の整理簿兼除却決議書一綴(符196号)

一  法人設立申立書一綴(符197号)

被告人が他人名儀により銀行預金をする等して所得の隠蔽を図っていた点につき

一  証人佐久間雅紀の証言調書(49・7・2裁、14冊)

一  証人見学玄の証言調書(49・7・2裁、14冊)

一  伊藤武一郎の大質(3冊)

一  大迫和夫の大質(元帳写)(3冊)

一  斎藤正直の大質(14冊)

一  池田銀行梅田支店の証明書(元帳写)(8冊)

一  富士銀行九條支店伊藤武一郎の証明書(元帳写)(8冊)

一  鹿児島銀行大阪支店平田武雄の回答書(8冊)

一  同銀行大阪支店横山竜雄の証明書(32・8・1)(8冊)

一  富士銀行新橋支店虎ノ門出張所朝倉謙一の証明書(8冊)

一  三井銀行銀座支店の証明書三通(元帳写32・8・2付

32・7・1付及び関係書類写)(13冊)

一  東海銀行虎ノ門支店田中俊夫の証明書(元帳写)(8冊)

一  住友銀行虎ノ門支店一方井卓蔵の元帳写(8冊)

一  協和銀行九段支店長野春夫の元帳写(8冊)

一  住友銀行梅田支店佐野俊一の上申書(8冊)

一  同支店伊藤正の上申書(9冊)

一  大阪不動銀行本店松下秀太郎作成の送付書(元帳写)、

回答書、及び記入帳写(9冊)

一  同銀行十三支店榎本平太郎の回答書(9冊)

一  同銀行九條支店根本進の回答書(9冊)

一  同銀行谷町支店松林寶の回答書(9冊)

一  大阪銀行西野田支店荻本善六の証明書(9冊)

一  同銀行船場支店朝野由雄の回答書(9冊)

一  富士銀行大阪支店高見宏の証明書(9冊)

一  同銀行上六支店図子照雄の回答書(9冊)

一  同銀行北浜支店早川真一の回答書(9冊)

一  同銀行梅田支店藤井勝美の回答書(附伝票写)(9冊)

一  協和銀行堂島支店恩地貞雄の回答書(9冊)

一  同銀行船場支店八木大蔵の回答書(9冊)

一  三井銀行西野田支店榎本四郎の回答書(9冊)

一  日銀勧業銀行西野田支店原田陸郎の回答書(9冊)

一  神戸銀行山手支店菅田英の回答書(9冊)

一  同銀行三宮支店開発嘉明の元帳写(9冊)

一  同銀行今里支店岡本繁光の回答書(9冊)

一  河内銀行安部野支店深津理の回答書(9冊)

一  第一銀行御堂筋支店南二雄の元帳写(9冊)

一  池田銀行上新庄支店の回答書(9冊)

一  同銀行山下支店山戸栄次の証明書(9冊)

一  兵庫相互銀行本店谷村俊助の証明書(9冊)

一  三和銀行本店西原直道の回答書(9冊)

一  同銀行築港支店小林清孝の回答書(9冊)

一  同銀行奈良支店杉正義の回答書(9冊)

一  大阪不動銀行梅田支店瀬良竜三の回答書(元帳写)(9冊)

一  三和銀行兵庫支店上村繁一の証明書(9冊)

一  兵庫相互銀行今里支店拝野曻の証明書(9冊)

一  鳥取銀行若桜支店長石潔の証明書(9冊)

一  三菱銀行梅田支店市川信夫の元帳写(10冊)

一  河内銀行京橋支店石津譲輔の回答書(10冊)

一  大和銀行野田支店水谷顱郎の回答書(10冊)

一  同銀行梅田栄一の元帳写(10冊)

一  住友信託銀行梅田支店内田吉次の元帳写(10冊)

一  第三相互銀行尾鷲支店大杉競の回答書(10冊)

一  伊豫銀行大阪支店高畑薫幸の回答書(10冊)

一  三栄相互銀行高田支店岸本久信の報告書(10冊)

一  泉洲銀行堺支店米谷陽子の回答書(10冊)

一  大和銀行北浜支店弘津鋼一の回答書(元帳写)(10冊)

一  近畿相互銀行梅田支店藤井十一の証明書(10冊)

一  東海銀行犬山支店即武広吉の証明書(10冊)

一  住友銀行名古屋支店丹羽英夫の元帳写(10冊)

一  同銀行名古屋支店丹羽英夫の保ゴ函借用証及び台帳写(10冊)

一  協和銀行犬山支店の元帳写(10冊)

一  三井銀行名古屋駅前支店の元帳写四通(10冊)

一  中央相互銀行桑名支店尾関実登の元帳写(10冊)

一  大和銀行生野支店高塚靖男の元帳写(10冊)

一  三井信託銀行大阪支店長岡新八の元帳写(10冊)

一  三和銀行大阪駅前支店大藤卓の元帳写(10冊)

一  神戸銀行大阪駅前支店丹羽成之の回答書(10冊)

一  同井谷功の回答書(10冊)

一  第一銀行梅田支店美濃部佐兵衛の回答書四通(10冊)

一  第三相互銀行名古屋支店片岡信夫の証明書(10冊)

一  住友銀行八重洲通支店村田政勝の回答書(10冊)

一  三井銀行雪ケ谷支店田口清の証明書(10冊)

一  富士銀行銀座支店福沢代司男の元帳写(10冊)

一  七十七銀行東京支店大槻章の元帳写(10冊)

一  東京銀行本店倉本静雄の元帳写真等四通(10冊)

(料理旅館業関係)

被告人が「城山荘」を経営していた点につき

一  証人田中茂樹(7<公>)、同稲垣栄千(5<公>)、同水野厚三(5<公>)、同松田正己(7<公>)、同山田松太郎(8<公>)の各証言調書(1冊)

一  証人堀場鉄二郎の証言調書(36・5・9、2冊)

一  証人島田はな子の証言調書(36・8・21、2冊)

一  証人山田隆の各証言調書(36・5・9、2冊。52・5・25、22冊)

一  証人村瀬徳朗の各証言調書(9<公>、11<公>、12<公>、3冊)

一  菊池六輔の証言調書(38・4・24、25、5冊)

一  佐藤一雄(14冊)、水野厚三(14冊)、島田はな子(14冊)、大久保右治(12冊)、栗本喜代一(12冊)の各検調

一  菊池六輔の検調(34・2・24付、14冊)

一  森下都、中尾正三(32・7・31付)の各大質(24冊)

一  <大>松田正己の上申書(6冊)

一  <大>池田伍作の回答書(6冊)

一  <大>竹市肇の調査確認書(32・9・20付、6冊)

一  鵜沼町長作成の被告人の住民票写二通(6冊)

一  岐阜地方法務局那加出張所作成の登記簿謄本(城山荘の土地建物に関するもの)(6冊)

一  日記帳一冊(符1号)

一  日誌一冊(符2号)

一  犬山国際観光ホテル城山荘会社設立関係書類綴一綴(符3号)

一  入出金伝票五綴(符90ないし94号)

一  雑書類一綴(符205号)中の(株)井善代表取締役大久保右治の岐阜県税事務所長宛の証明願

一  金銭消費貸借契約公正証書正本綴一綴(符4号)

一  会社重要書類原本綴一綴(符5号)

一  井善関係書類綴一綴(符7号)

一  井善の商業登記簿謄本(27冊)

一  被告人作成の鵜沼町長に対する転入届(6冊)

一  鵜沼町長の転出証明書写し(6冊)

被告人が二重帳簿を作成し、所得の隠蔽を図つていた点につき

一  島田はな子の検調(14冊)

一  金銭出納簿四冊(符23、24、25、31号)

一  当座勘定表二冊(符26、32号)

一  ノート一冊(符33号)

一  A、B出納メモ及び別伝票一袋(その一からその八まで各一一綴)(符 号)

一  伝票一袋(その一からその七まで各一綴)(符50号)

一  料理旅館ABメモ六枚(符53号)

一  符61号(31・4売上票(B)一綴)

符63号(31・5売上票(B)一綴)

符65号(31・6売上票(B)一綴)

符55号(31・1売上票(B)一綴)

符57号(31・2売上票(B)一綴)

符59号(31・3売上票(B)一綴)

符67号(31・7売上票(B)一綴)

符69号(31・8売上票(B)一綴)

符71号(31・9売上票(B)一綴)

符73号(31・10売上票(B)一綴)

符75号(31・11売上票(B)一綴)

符77号(31・12売上票(B)一綴)

なお判示各事実につき別表1、2、掲記の各証拠

(金融業について-新阪神産業株式会社に関する部分については、料理旅館業についても引用する。)

一 新阪神産業株式会社、森下都及び中尾正三名義の貸付について

被告人は本件で右各名義による貸付は、当該名義人が貸付けたものであつて被告人が貸付けたものではない旨主張するので以下その判断を示す。

1  新阪神産業(株)

(一) 被告人の大質(32・9・26付、12冊499丁以下の分)及び新阪神産業(株)会社重要書類原本一綴(符139号)中「証拠の標目」に掲記の各書類によれば、同会社は、28・2・17学生服ズボン紳士服婦人服等既製品売買等七項目とそれらに附帯する事業を営業目的とし、資本金一二五万円、代表取締役中尾初二、本店所在地八尾市大字八尾二四番地として設立登記された株式会社であつて、書類の上では会社設立に必要な、発起人の株式引受、定款の作成、株式の払込、創立総会の招集、役員の選任等の手続がなされているが、発起人になつている早川庄太郎の大質(12冊)、八巻正一の証言調書(38・4・22受、4冊)、林辺広耐の証言調書(38・4・22受、4冊)、菊池六輔の証言調書(38・4・24、25受、5冊)、監査役となつている田口マサの証言調書(49・5・24受、14冊)等によると、右会社は、形式的に法律上設立された会社にすぎないものと認められ、設立後においても正規に株主総会とか取締役会が開催された形跡も認められない。

そして同会社の登記簿上の本店所在地には、営業所が置かれていなかつたことは、中尾正三の証言調書(109<公>、27冊)によつても明らかであり、同所で営業活動が営まれた事実は全く認められない。

又同会社は、設立当初の貸借対照表及び財産目録以外は、株式会社として法規上要求される計算書類が作成された形跡はなく又同会社に従業員も置かれていなかつたことは被告人も認めるところである。(被告人の前記大質)

(二) つぎに被告人の大質(32・7・31付、32・8・30付、12冊、494丁以下、32・9・26付、499丁以下)及び中尾正三の前記証言調書によると、同会社は、被告人が当時「新阪神ビル」の貸店舗に入居する資格を得るために設立したものであるが結局入居できなかつたのでその必要が消滅し、営業活動はほとんど行われなかつたことが認められ、このことは、八尾税務署作成の新阪神産業(株)の法人税決定決議書(符195号)に、同会社は設立以来休業状態で再開の見込みもなく意思もない旨同会社からの回答によつて除却法人とした旨の記載があることからも裏付けられる。又同会社名義の預金状況の面から考察すると「預」並びに第一銀行梅田支店回答書(10冊)、池田銀行梅田支店証明書(8冊)、弁272ないし293の各銀行の証明書及び計算書等によれば、同会社名義で多数の銀行に預金口座が設けられていた事実が認められるが、主たる営業目的である商品売買を反映する如き預金の動きは窺われず、又同会社名義による貸金・利息等の出入に副う預金の動きも認められず、その口座から本来被告人の営業経費と認められる広告料が新聞社や広告社に支払われている事実も認められ、被告人自身がその事業遂行上便宜その口座を実質上自己の口座と同様に融通して使用していたことが推知できるのである。又中尾正三も前記証言調書の中で、同会社の返済分、利息の入金については、被告人のものと区別なく、一本の口座に入金していた旨証言しており、独立した会計は、していなかったことが認められる。

(三) 重政重職の証言調書(36・8・23裁、2冊)、藤本敬司の検調(14冊)、中尾正三の前記証言調書等によれば、被告人が自己の営む金融業の営業所としていた大阪市北区小深町二五番地において、右会社名義による貸付もなされていた事実が認められ、同会社は、被告人だけが代表取締役であって、他に取締役として木村俊男と森下都、監査役として田ロマサがいるが、森下都は被告人の内妻であり、田ロマサは使用人、木村俊男は、菊池六輔の検調(14冊)によると、東京の人で三〇年ころ東京で死亡したことが認められ、いずれも名目だけのものであって被告人がその名義を自由に使える立場にあったことが推認できる。

(四) 又被告人の大質(32・7・31付、12 冊)、大阪府商工部長の回答書(6冊)によると、被告人は所轄官庁に対し、貸金業の届出をしていたが、新阪神産業(株)はその届出をしていなかったことが認められる。

(五) そして本件で、新阪神産業(株)名義で貸付を受けていた第一印刷出版(株)、(株)愛知電機工作所、三光タクシー自動車(株)、(株)井善、(株)井善中店の各関係人である、重政重職の証言調書(36・8・22裁、2冊及び52・12・9受、24冊)、山根義雄の証言調書(36・8・21裁、2冊)及び検調(22冊)、村瀬徳郎の証言調書(9・11・12・3冊)によると、同会社から金融を受けるに至った経緯は、同人らから特に希望したものではなく、同人らが被告人から金を借りるため被告人の前記営業所を訪ねたところ、被告人の指示があり、それに従い、同会社が貸主名義である関係書類の作成に応じたものであり、同人らが異議をとどめず、それに応じたのは、その実体は被告人であるという認識が根底にあったからこそその点を意に介していなかったものと推測されるのである。

(六) 加えて後に認定するように、被告人が同営業所で金融をする際には、勿論自己名義で貸付ける場合もあったが、右会社のみならず内妻の森下都ら他人名義を用いることも多かったことが認められる。

以上の諸点をあわせ考えると、新阪神産業(株)は、実体のない会社であって、被告人が自己の経済活動の便宜のために利用していた名義にすぎず、実質的にその収益を享受するのは被告人個人であったと認めることができるので、税法の実質課税の原則により、同会社名義で貸付けた分の所得は、被告人に帰属するものと認めるのが相当である。

2. 森下都

被告人は、森下都名義で貸付けた分は、同人所有の金を同人が貸付けたものであり、被告人はその媒介をしたにすぎない旨供述し、中尾正三もそれに副う証言をしている。

しかしながら

(一) 森下都は、被告人の内妻(元入籍していたが事情により戸籍上は離婚し、旧性に戻ったが、夫婦生活は引続き持続していたたもの)であって、前記被告人の大阪営業所において、被告人や正三と同居していたが専ら家事に従事していたものであって、営業面には全く関与せず、同人名義の貸金業の届出もしていなかったことが、森下都の大質(24冊)、中尾正三の各大質(24冊)及び証言調書(27冊)により認められる。

(二) 鹿児島銀行大阪支店平田武雄の回答書、同横山竜雄の証明書(8冊)及び<大>差押てん末書(12冊111丁以下の分)によれば、同銀行同支店森下都借受名義の貸金庫中に被告人のものとみられる有価証券や預金通帳が存したことが認められる。

(三) 池田銀行梅田支店の証明書(8冊)によれば、その取引内容からみて、同銀行の新阪神産業(株)名義の預金を引継いだ形で森下の預金口座がある。中尾正三はその証言調書(27冊)において、森下都の貸付分の返済、その利息の入金については、被告人の分と区別なく、一本の銀行口座に入金した旨述べている。

(四) 大信産業(株)、有限会社藤為工務店、第一印刷出版(株)に対しては、森下都名義で貸付けていたことは関係証拠により明らかなところであるが、右大信産業(株)の二神卯太郎の証言調書(36・8・23裁2冊)、上申書(22冊)によると、同会社は、森下都貸付名義で借受けた分の支払利息については、会社元帳に相手方として「中尾」と記載していたこと、借受けに際して森下都とは何ら交渉していないことが認められ、又藤為工務店の藤本敬司の検調(14冊)によると、同人が森下より借りるに至ったのは、被告人の営業所において、被告人と交渉した上であること、森下都という名前は、便宜被告人が使っているものと了解していたことが認められ、第一印刷出版(株)の重政重職の証言調書(前出)によると、森下都は、被告人の前記営業所で見かけたことはあるが交渉は正三として借りたものであることが認められる。

(五) 被告人が記帳していたと認められる手帳(符144号)には、森下都名義で貸付けていた藤為工務店や第一印刷出版に関するものが被告人名義による貸付先と区別なく掲記されていることが認められる。

以上の諸点をあわせ考えると、森下都は、実在する人物で被告人の内妻であるが、被告人が金融業を営むに際して、便宜使用していた名義にすぎず、実質的にその収益を享受するのは、被告人であつたと認められるので、同人名義で貸付けた分の所得は、被告人に帰属するものと認めるのが相当である。この点に関する被告人の供述記載、前記中尾正三の証言調書中には、森下都名義で貸付た金は同人の所有する金であり、被告人に運用をまかせていた旨の供述部分があるが、直ちに信用しがたい。仮にそうであるにしても後記のように貸金業の経営の主体が被告人にある以上被告人にその所得が帰属するものというべきであり、右の結論に影響を及ぼすものではないし、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

3  中尾正三

(一) 被告人の供述記載(とくに101<公>、106<公>)、中尾正三の証言調書(27冊)、大質二通(24冊)によれば、中尾正三は被告人と森下都との間に5・5・21出生した長男であつて、二八年愛知大学を卒業し、そのころから前記大阪の被告人の営業所に父母や兄弟と居住して生活し、被告人の金融業を手伝つていたものであつて、被告人が三〇年頃から城山荘、さらには東京方面に進出するにつれ、被告人に代つて右営業所の事業を代行するようになり、漸次その比重が増えたのであるが、中尾正三自身は、金融業の届出をしたことはなく、対外的には、あくまでも被告人の事業たる形態をとつていたものであることが認められる。

又中尾正三の前記証言調書によると、同人が融資に充てた金員は、かねて被告人から贈与を受けた資産であるということであるが、同人からは所得税等の申告や納税がなされた形跡は認められず、直ちに措信しがたいものがある。

(二) そして中尾正三名義による貸付分についてはその返済や利息の入金は、被告人名義のもの、森下都名義のもの、新阪神産業(株)名義の分もあわせて一本として銀行入金していたことは中尾正三の認めるところである。

(三) 被告人が記帳したものと認められる手帳(符144号)には、中尾正三名義で貸付けたものである第一印刷出版(株)の分が被告人名義の貸付分と区別されることなく掲げられている。

以上を総合すると、中尾正三は、被告人とは別個に独立して金融業を営んでいたとは認めがたく、被告人の大阪の営業所で営む金融業は、右親子の協力による共同事業と認められるものの、両者が親子であり、本来被告人が届出をして営んでいた事業であること、両者の年齢、前記認定のような諸事情を勘案すると、右事業を主宰して営んでいたのはあくまでも被告人であつて、正三は、それに寄存して従たる立場で協力していたとみるのが相当であり、そうだとすると、実質課税の原則に照らし、被告人にその所得が帰属するものというべきである。

二  金融機関に対する預金名義について

新阪神産業(株)、森下都及び中尾正三と被告人の関係については、前項で認定したとおりであり、吉村東照、島崎達夫については、後に別項で認定したように、被告人の別称であり、昭和建設工業(株)については、戸根将男作成の電話聴取書(6冊)、同会社登記簿謄本(6冊)、中尾正三の証言調書(27冊)、菊池六輔の検調(14冊)、大久保右治の検調及び大質(12冊)及び「預」中の同会社名義の預金の出入り状況からみて、被告人が実在しない会社である同名義を便宜使用していたものであることが認められ、被告人の供述記載(101<公>)、森下都の大質(前出)によると、中尾幸子、同博司同フサ子は、被告人の子であつて、当時はまだ年少で被告人に扶養されていたものであることが認められ、これらの事実と小林忠三の証言調書(49・9・10受及び58<公>14冊)と「証拠の標目」金融業関係に掲記の各証拠を総合すると、以上の各預金名義の口座は、実質的には被告人の預金口座であると認められる。

三  所得金計算書記載の犯則収入利息中、当裁判所が認定しなかつた分についての理由

1  長束良雄関係

弁210の公正証書正本によると、被告人は、同人に対して28・7・4金六万円を貸付けたことが認められ、実質的に被告人の預金と認められる昭和建設工業の当座預金口座(「預」-13丁)に30・5・13他店券で同類の入金があり、又「預」-15丁、18丁には、30・1・13と2・11の二回にわたり、金七、〇〇〇円の入金があつたことが認められ、又符144号の手帳の30・12・12のらんに長束良雄として「六〇、〇〇〇円」と記載されていることが認められるので右二回の金七、〇〇〇円の入金は右元本の利息金ではないかとみられないでもないが、右貸金は、二九年末までに完済した旨の同人の証明文が右公正証書正本に附記されている点を考慮するときは、右入金をもつて、本件貸金に対する利息金の入金と認めるにはなお若干の疑問が残るので証明十分とはいいがたい。

2  松倉建設関係

符138号の島田はな子方から押収されたという書面(雑書綴二枚)は、債務者の署名押印もなく、債権者も債権額も債権の発生原因、日時の特定もない単なる原稿程度のものにすぎないし、正式な文書とはいえない。「預」の15、16丁の記載、竹市肇の証言調書(52・8・10受、24冊)をあわせ考えると、30・1・12と1・27の金三万円宛の入金は、被告人の松倉建設に対する金一二〇万円の貸金の利息ともみられないでもないが、前記の如く、この点を立証する的確な書証のない場合には、捜査当局において当然当時の松倉建設の関係者にこの点を確めるべきであると考えられるのであるがそれもないので、右利息収入があったとする点については証明が十分でないといわざるをえない。

3  三光タクシー自動車(株)(以下三光タクシーという)の代表取締役であった山根義雄の証言調書(36・8・21裁、2冊)、検調(22冊)、「中尾正三の旧債勘定」という書面一枚(符153号)、領収書綴(符154号)中宮本勢之助の三光タクシー宛二七五万円の領収書、三光タクシー宛被告人の金五万円宛の各領収書一八通、金二〇〇万円の宮本勢之助宛領収書、金五五万円の同人宛受領書、同人宛債権譲渡証、西口雄三作成の閲覧報告書(和解調書写)によると、三光タクシーは、二八年ころ車両購入資金の必要から、被告人から金一〇〇万円を借受け、その後継続して利息を月三分(位)、期間は三〇日から九〇日までの約定で借入れていたが(貸主名義は、中尾正三又は新阪神産業(株))29・4・1現在で金八二四万円の借入残があったこと、同会社はそのころ事業に行き詰り、債務超過となり、そのころ大阪地方裁判所に会社整理の申立をなし、整理開始決定を得たが、31・2・2当時における残債務について宮本勢之助が肩代りして金二五五万円代位弁済したことが認められる。ところで検察官は、右代位弁済金の中には、当時の残債務の元本二〇四万円のほか買戻期間違約による損害賠償金としての五〇万円が含まれており、本件の五〇万円はそれであって文字通りの収入利息ではないが、被告人の金融業に付随しての収入であるから利息収入と同視しうるものである旨主張する。しかし山根義雄の右検調によると、宮本の立替分は、元本二〇四万円と登記費用等として二一万円、損害賠償その他諸費用として五〇万円合計二七五万円であるというのであって、買戻期間違約による損害賠償金であるとは述べていないし、同人の前記証言調書では、さらにこの点甚だあいまいであって、損害賠償の趣旨の金員は含まれていないかのように受取れる供述をしているのである。又前記宮本勢之助作成の三光タクシー宛代位弁済の返済金の領収書には金二七五万円として、うち二〇四万円は、債務元本、金二一万円は、担保物件の移転登録及取得税等費用弁償、金五〇万円は担保物件買戻期間違約賠償金なる旨の記載があるが、右領収書綴の中には、被告人が右違約損害金として金五〇万円を宮本勢之助から受領した旨の領収書は存在しない。かえって右綴中の31・2・2付の金二〇〇万円の被告人の同人宛の領収書には「債権譲渡代金の一部として」という記載があり、2・7付の金五五万円の被告人の同人宛の領収書には「債権残額相済み」なる記載があって、前記趣旨とくい違っている。又符153号の前記書面によると、車両による代物弁済、月賦返済で30・12・31現在残高一八四万円とあるのに、宮本勢之助の前記領収書には、債務元本が、二〇四万円となっており一致しない。かような疑問点があるのであるから、捜査当局としては当然直接の当事者である宮本勢之助に対し、その間の事情を調べて、この点を解明すべきであると思料されるのであるが、その形跡は窺われない。

従って、被告人が検察官主張の違約損害金として金五〇万円を右宮本から受取ったという事実を認定するには証明が十分でないといわざるをえない。

四  被告人の貸倒れ等の事由により損金に計上すべき金額がある旨の主張に対する判断

所得税法は原則として債権発生主義をとっているので貸倒れによる損失は、当該年度に損失として確定したものに限られると解すべきであるから債務者の弁済能力が失われ、その債権の回収不能の状態となり、その状態が確定した場合、その確定した年度の損金となると解する。

ところで貸倒金の認定基準としては、債務者に、破産もしくは和議手続の開始、事業の閉鎖、失そう、行方不明、刑の執行、天災地変に遭遇し又は経済事情の急変による資力の喪失、債務超過の状態が相当期間続き事業再開の見通しがない等の事情があるため回収の見込みがない場合、又は上記の事例に至らない場合でも、例えば、強制執行その他の取立手段を尽したうえでも債権の回収の見込みが立たない場合、債務超過の状態が相当期間継続して回収の見込みがない場合にその債務全部について免除を行なったような場合には、債権の貸倒れがあったものとみるのが相当であると解する。この見地に立って以下被告人の主張に対し逐次判断を示すこととする。(被告人のこの点に関する主張は多項目にわたるのでその主なるものについての判断にとどめる。)

なお、被告人が各貸付先から利息制限法を越える利息を徴していたことは、被告人の自認するところであり、関係証拠からも明らかであるが、利息制限法所定の制限をこえる支払利息、天引利息、損害金等は、法律上元本に充当されるものであって、その計算を経た残額(法律上貸付先に請求しうるもの)が税法上貸倒れ損失の対象として認められるものと解されるのであるが、被告人は、これらの点を明らかにして主張していないので果してその主張する貸付金が右貸倒れ損失の対象としてそのまま認められるか甚だ問題であるが、ここでは、この点をしばらく措き、それに触れないで考察を進めることとする。

1  菊池六輔関係

同人の証言調書(前出、5冊)、検調(14冊)、大質(18冊)、ノートブック二冊(符141号、216号)によると、被告人は同人に対して、継続的に株券を担保として金銭を貸付け、三一年一二月末現在金一五四二万九七六〇円の貸付残が存していたことが認められるが、右ノートブック等から窺知できる三二年度における取引の状況等からみて(弁165「公正証書正本」、弁166「送達証明書」参照)少なくとも三一年度において同人に対する貸付金が回収不能になったものとは認められない。

2  大同石油関係

売買契約公正証書正本写(弁21)、和解調書正本写(弁26の1)によると、被告人が、同会社に対して三一年度において貸金債権を有していたことが一応認められるが、回収不能の事態を証明する証明書(弁22)、有体動産差押調書写(弁27)も三三年度におけるものであって、同年度ならば格別、三一年度における回収不能の証明とはならないし、他に三一年度において貸倒れが生じたことを認めうべき証拠はない。

3  (株)土肥漆店関係

土肥照雄の証原調書(36・8・23裁2冊)、領収書一通(符198号)、約束手形五通(符199号)、計算表一通(符200号)、和解調書二通(符201号、202号)、土肥漆店の登記簿抄本一通(弁30)、判決正本二通(弁32号、33号、符236号、237号)、支払命令正本一通(弁31)、和解調書正本一通(弁34)を総合すると、同会社の被告人に対する28・7・1現在における債務は金一七〇万四三〇五円であったことが認められるところ(28・9・16の和解で確認)、同会社は同年経営不振のため解散したので、それ以降においては、新たな貸付はなく右債務については更に29・8・11に残債務につき和解が成立している(弁34)事実が認められるが、三〇、三一年度においてそれが回収不能となったという事実については、これを認めるに足る証拠はない。

4  内田商事(株).(株)内田商事関係

内田一郎の証言調書(36・8・24裁、2冊)、約束手形一通(弁38)、約束手形写三通(弁60の1ないし3)、小切手写二通(弁39の1、2)、判決写一通(弁40)によると、被告人が同会社に対して貸金債権を有していたことが一応認められるが、内田一郎の証言によると、二九年大阪簡裁で残債権について和解が成立し、その際不動産を担保として提供していることが認められ、右貸金が三〇、三一年度において回収不能になった事実は認めがたい。そして他に右両年度において貸倒れが生じた事実を認めるに足る証拠はない。

5  ライオン(株)関係

和解調書正本一通(弁35)、公正証書正本一通(弁36)によると、被告人が同会社に対して貸金債権を有していたことが一応認められる。又競売不能通知書一通(弁65)によると、30・4・5同会社の保証人の一人である岡野弘毅に対する強制執行が効を奏さなかったことが認められる。しかし、右和解調書、公正証書によると、右債権については物的担保の設定があるのみならず、岡野愛子も保証の趣旨で債務者になっていることが認められるのであるから、これらに対する執行状況や右の者の担保能力の状況が明らかにされていない限り、三〇、三〇年度において回収不能が生じたものとは直ちに認めがたいし、他に右事実を認めるに足る証拠はない。

6  大東健治関係

和解調書写一通(弁43)、公正証書正本一通(弁44)によれば、被告人が同人に対して二九年において、貸付債権を有していたことが一応認められるが、右によると、土地を担保として貸付けたものであることが認められ、三〇、三一年度において、回収不能が生じた事実は直ちに認めがたいし他に右事実を認めるに足る証拠はない。

7  藤木準太郎関係

債権取立命令写一通(弁49)、和解調書写(弁50)によれば、被告人が、同人に対して三〇年において貸付債権を有していたことが一応認められるが、三〇、三一年度において回収不能による貸倒れが生じた事実については、これを認めるに足る証拠はない。

8  市口仙太郎関係

公正証書写一通(弁54)によれば、被告人は同人に対して、二八年において貸付債権を有していたことが一応認められるが三〇、三一年度において回収不能による貸倒れが生じた事実については、これを認めるに足る証拠はない。

9  浪速鉱金工業(株)関係

判決写一通(弁45の1)、判決確定証明写一通(弁45の2)によると、被告人が同会社に対して貸金債権を有していたことが一応認められるが三〇、三一年度において回収不能による貸倒れが生じた事実は、これを認めるに足りる証拠はない。

10  実業タクシー(株)関係

判決写一通(弁46の1)、判決確定証明写(弁46の2)によると、被告人が同会社に対して貸金債権を有していたことが一応認められるが、三〇、三一年度において回収不能による貸倒れが生じた事実は、これを認めうべき証拠はない。

11  国産工業(株)関係

公正証書写一通(弁47)、不渡約束手形写一通(弁48)によれば、被告人が同会社に対して貸金債権を有していたことが一応認められるが、三〇、三一年度において回収不能による貸倒れが生じた事実は、これを認めうべき証拠はない。

12  カネダイン工場(株)・和田輝男関係

公正証書写一通(弁51)、不渡約束手形写三通(弁52の1ないし3)不渡小切手写三通(弁57の1ないし3)、不渡約束手形写二通(弁57の4、5)によれば、被告人が同会社及び同人に対して貸金債権を有していたことが一応認められ、解散登記薄抄本一通(弁53)によると、同会社が30・6・11解散したこと、動産差押調書写(弁58)によると、34・5・20同人に対する動産執行が執行不能として結了したことが、いずれも認められるが、三四年度ならば格別三〇、三一年度において回収不能による貸倒れが生じた事実は、これを認めがたく、他に右事実を認めうべき証拠はない。

13  大信産業(株)関係

被告人は、同会社に対する貸付は、森下都が貸主であって、従って被告人は、その利息収入は得ていなかったものであるが、仮にそれが被告人の事業所得の対象になると認定されるならば、被告人は、同会社に対して多額の債権を有していたとして、弁206ないし弁208、弁222ないし235(弁225の2を除く)の公正証書(正本、謄本)、約束手形、小切手、念書等を提出し、右債権が三〇、三一年度において回収不能となった旨主張するが、右各証により被告人が同会社に対して貸金債権を有していたことが一応認められるが、三〇、三一年度において回収不能による貸倒れが生じた事実を認めるには十分でなく、他にこれを認めるに足る証拠はない。

14  有限会社藤為工務店関係

被告人は、同会社に対する貸付は、森下都が貸主であって、従って被告人は、その利息収入を得ていなかったものであるが、仮にそれが被告人の事業所得の対象に認定されるならば、被告人は同会社に対して多額の債権を有していたところ、同会社は、31・12・20破産宣告を受け、右債権は回収不能となったので貸倒れによる必要経費としてこれを認めるべきである旨主張する。そこで検討すると、被告人が貸倒れを主張する30・5・7金二〇〇万円、30・6・1金二一〇万円、30・6・2金一〇〇万円、30・6・28金九〇万円の各貸付の記載がある各公正証書謄本四通(弁198、弁199の1、弁200、弁201)は、藤本敬司の証言調書(2冊)、竹市肇の証言調書(52・8・10受、52・8・30受、52・9・21受、52・10・19受以上24冊)から判断して、「貸」-41丁に記載の30・4・30金二〇〇万円、30・5・20金二一〇万円、30・5・31金一〇〇万円、同じく「貸」-43丁に記載の30・6・24金九〇万円に対応するものと認められ、後記別表1金融業益金収入利息等同会社の項掲記の関係証拠によると、「貸」-41丁以下に記載のように、順次手形が書替えられ遂次池田市役所の工事代金等により回収されていて最終的には、31・7・25現在の残債務一二一万円について担保の不動産を代物弁済に供することにより返済されたものと認められる。被告人は、債権者の手中に存する約束手形の存在により残債務が存在することを立証しようとするけれども、それだけでは、残債務の存在を認めるに十分ではないし、他に三〇、三一年度において回収不能による貸倒れの生じた事実を認めるに足る証拠はない。

15  三光タクシー自動車(株)関係

被告人は、二八年六月ころから手形割引の方法で同会社に対し、金員を貸付け、29・1・5現在で貸付金残は合計金八二四万円に達し(和解調書謄本一通「弁62」)、29・1・23金一五〇万円を追加貸付した(公正証書正本一通「弁63」)が31・2・2までに返済がなかったので、同日宮本勢之助に右債権を譲渡し、金二五五万円を回収したが、残余の七一五万円は未回収であって、これは右債権譲渡に伴う損失であるから三一年度の金融業の損金として認めるべきであると主張する。しかし同会社が相当事業がひっぱくしていた時期である29・1・23に金一五〇万円という高額の金員を金融業者である被告人が果して無担保で追加貸付をするのだろうかという疑問があり、前出符153号の中尾正三旧債勘定という書面、山根義雄の証言調書(2冊)に対比して、直ちに措信しがたく、符154号の領収書綴中の前掲各証拠、決定謄本一通(弁61)、和解調書謄本一通(弁62)、公正証書正本一通(弁240の3)、自動車抵当権設定登録申請書一通(弁 の5)によると右八二四万円の債権については、相当数の自動車等が担保に供されていたのであって、それによる代物弁済のほか月賦による(五万円宛一八回)弁済もなされていや、相当減少しており、右債権譲渡時における残債務が債権譲渡額を上回っていたとは認めがたい。そして他にこれを確認するに足る証拠はない。

16  (株)井善中店関係

被告人は、同会社に対する根抵当権付金一、二五〇万円の債権及び山田松太郎の抵当権付金三〇〇万円の債権、新阪神産業(株)の金三五〇万円の抵当権付債権合計金一、九〇〇万円の債権を梅山ように金一、二〇〇万円で譲渡し、うち右山田、新阪神産業(株)には、その債権額どおり配分したため自己の債権に金七〇〇万円の差損金が生じた旨主張するが、村瀬徳朗の証言調書(9・11・12<公>、3冊)、村瀬徳朗の上申書(添付表三枚)(5冊)、<大>小林忠三作成の写真撮影てん末書(3冊)、株式会社丸栄取締役経理部長後藤朝守の上申書(6冊)、梅山実明作成の「おぼへ」と題する書面(6冊)、根抵当権設定契約公正証書正本の謄本(弁8の1)、抵当権設定金銭貸借契約公正証書謄本写一通(弁9の1)、判決書謄本(弁11の1)、抵当権設定契約公正証書写等の証明書(弁14)によると、被告人は、梅山ようの代理人たる梅山実明との間に、30・8・9(株)井善中店及び村瀬徳朗が各所有する、名古屋市中区蒲焼町三丁目八番宅地四二坪五合二勺外四筆、同市中区針屋町四丁目一二番家屋番号第二〇番の一、木造瓦葺二階建店舗建坪九〇坪四合五勺、二階三五坪八合五勺外一棟に対し、<1>極度額五〇〇万円の根抵当権(中尾初二名義)、<2>抵当権(三五〇万円新阪神産業(株)名義)、<3>抵当権(三〇〇万円山田松太郎名義)を各設定して(株)井善中店及び村瀬徳朗を連帯債務者(或は村瀬徳朗を連帯保証人)として貸付けた債権をその(根)抵当権及び本件物件についてなされた代物弁済の予約完結権(二個)と売買の停止条件付予約完結権と共に対価一、三〇〇万円で譲渡する契約を結び、同日内金として金一〇〇万円、同月八日に残金一、二〇〇万円の支払を受けたのであるが(ただし所得金額計算書の雑収入の項では、被告人の実際の手取額は一、二〇〇万円とみている)、この契約によって貸付者の名義の如何を問わず、右両者を連帯債務(保証)者とする残債権全部を梅山ように譲渡したものとみるべきである。そして当時における残債権の額は、前掲各証拠とくに前記村瀬徳朗の上申書中の「中尾初二よりの借入金並支払利息明細」と題する表によると、貸付元本として一、六四二万五、〇〇〇円及び三〇年五月以降の未収利息分約一四〇万円(山田、新阪神産業(株)名義分を含む。)であったと認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。以上の点は、前記写真撮影てん末書添付の「契約書」の追記に、被告人は、梅山ように対し、「株式会社井善中店に対する債権並に其連帯債務者村瀬徳朗に対する債権に関する手形其他の証書は貴殿に対し全部引渡済につき最早手残りの手形並に証書はなきことを誓う」旨の記載があり、又株式会社丸栄の梅山ように対する受取書には(株)井善中店振出又は引受の手形、小切手計四四通合計額面一、〇〇二万五、〇〇〇円と記載されていることからも裏付けられる。

なお被告人は、右譲渡の対象にならなかった(株)井善中店に対する債権も別に存在し、これらは、三〇年度においてすべて貸倒れになったものであると主張するが、他にそのような債権が存在しないことを確認する趣旨で前記契約書の追記ならびに被告人の手許に残存する手形類の一括引渡しが行われたものとみるべきであるから、右主張はにわかに認めがたい。(付言するに、本件債権及び本件物件に関する右一切の権利は、30・8・24(株)丸栄に金七、五〇〇万円で梅山ようから譲渡されているのであるから、被告人が自己の現存債権をはるかに下廻る対価でこれをあえて譲渡するということは経済人として到底考えられないところである。)

(料理旅館業について)

一  被告人は従前から一貫して被告人自身料理旅館城山荘を経営したことはなく、山田松太郎(以下松太郎という。山田松太郎の証言調書(8<公>1冊)によりと被告人の妻と松太郎の妻が姉妹で被告人の妻が姉である。)の個人経営であり自分はその支配人にすぎない旨を主張してきたところ、第一〇六回公判(25冊)でその主張を撤回し、新たにその経営者は(株)井善(以下井善という。)である旨を主張するに至ったものである。

しかしながら井善は、次項に述べる経緯で30・12・10株主総会の決議により解散して清算手続に入り、その後33・3・22に至り右井善を継続する旨の手続をなしたものである(井善の商業登記簿謄本「27冊」)。従って本件係争年度は清算手続中であって清算の目的の範囲内で井善は存在していたにすぎず、営業活動も右目的の範囲内に制限されるところ、井善の場合は30・10・31限りでその主たる目的の料理旅館の廃業届を所轄官庁へ届出し受理(符205号雑書類一綴中の井善代表取締役大久保右治作成の岐阜県税事務所長宛の廃業届受理の証明願)されていたことが認められるから料理旅館業を右目的の範囲内にあるとして営なむということは到底考えられず、被告人の主張はすでにこの点において理由がないというべきである。

二  ところで「城山荘」の旅館業の営業許可名義人は松太郎であるが右事業の所得は、その実質上の経営者が別人であることが明らかな場合にはその者に帰属するものというべきであるからその実質上の経営者が被告人であるかどうかを検討することが必要であるが、その前提として城山荘の土地、建物の所有者、その所有権移転の経過について触れる必要がある。

城山荘は、岐阜県稲葉郡鵜沼町(現在は岐阜県各務原市鵜沼南町)に在り、山の頂上、中腹、下の平地の各土地とその各土地上にある建物部分から成るもので、一部土地が鵜沼町の区有地に属する他は、井善(代表者村瀬徳朗、以下徳朗という)、村瀬はな(徳朗の妻)、村瀬てる(徳朗の姉)が各所有していたもので、城山荘は従前井善(24・11・28設立登記、目的は旅館及び料理割 飲食、キャバレー等)が25・4・27旅館営業者の許可を得て経営してきたが経営が悪化したため、 ・2・ 井善と村瀬はな及び村瀬てるが各所有していた前記土地建物を担保として新阪神産業(株)から五〇〇万円を借り受けた(符4号「金銭消費貸借契約公正証書正本等綴一綴」、符5号「会社重要書類原本綴一綴」、符7号「井善関係書類綴一綴」、井善の商業登記簿謄本「27冊」、村瀬徳朗の証言調書「9、11、12<公>3」、<大>作成32・9・20付調査確認書「6冊」。)。

しかし井善は右金員を期日迄に弁済できなかったがため関係者間に種々紛争が生じたが、公簿上は30・7・12(原因29・4・11売買)前記各所有者から新阪神産業(株)に所有権移転登記がされ(符4号「金銭消費貸借契約公正証書正本等綴一綴」及び岐阜地方法務局那加出張所作成の登記簿謄本「6冊」)、現実の明渡は強制執行という形式で30・7・18と7・28の二回にわたって行なわれ30・7・30付で井善の代表者も徳朗から大久保右治に変更されたほか、同日付で旧役員は全部解任され、松太郎と被告人が取締役に就任したが、右大久保は名目上の代表者で31・2・10付で被告人に代表者は変更された(符7号「井善関係書類一綴」、井善の商業登記簿謄本「27冊」、村瀬徳朗の証言調書「11<公>3冊」、<大>作成32・9・20付調査確認書「6冊」、大久保右治の検調「12冊」)。

以上のような経緯で井善及びその代表者であった徳朗の一族の所有していた「城山荘」の土地、建物の所有権は新阪神産業(株)に30年7月末をもって移ったものである。

ところで新阪神産業(株)は、先に(金融業について)一項の1の箇所で詳述した如く実体のない、被告人が自己の経済活動の便宜のために利用した名義のみの会社であって新阪神産業(株)が「城山荘」の土地、建物の所有権を取得したことはとりもなおさず実質的には被告人が「城山荘」の所有者となったことを意味するわけである。

従って井善としては所有財産もないのに債務のみ多くこのままではその目的である旅館業などを維持することは法律上も事実上も著しく困難な状態に陥入ったことが容易に推認し得る。だからこそ30・10・31限りで井善はその目的たる料理旅館の廃業届を所轄官庁へ届出たものと考えられる。そして井善は、前述の如く引き続いて30・12・10株主総会の決議により解散し清算手続に入ったものである(なお事情は分らないが前述の如くこの後である33・3・22右井善を継続する旨の手続をしている。)。

故に本件係争年度の井善は清算手続中であって清算の目的の範囲でのみ存在していたにすぎず業務執行も制限されるところ、前述の如く井善はその主たる目的である料理旅館を解散の時点では廃業していた(この点は被告人の46・1・14付陳述書一、(五)で自認しているところである)のであるから、残務整理としても料理旅館を営むということはあり得ないわけである。

三  被告人提出の「城山荘」に関する関係各証拠も係争年度の経営主体が井善であることを認めるに足るものは何もない。符464号(岐阜南税務署の納税告知書等)も前述のように解散登記後の会社(井善)が継続していることに対してなされたもので、この間なんらの矛盾もない。

四  そこで被告人はこれらの事態に対処するために自らが代表者となり井善とは別の新会社((株)犬山国際観光ホテル城山荘)を設立して「城山荘」を引き続き経営しようと試みた。即ち右新会社は30・9・17設立登記され、代表取締役に被告人、取締役に山田隆(松太郎の子供)、水野厚三、監査役に堀尾貞二、加藤文雄が就任したものの設立と同時に休業状態となってしまったもので、その関係者をみると被告人は名目だけ「城山荘」を会社経営としてその実質は被告人自身で個人経営を行なおうとした意図が窺がわれる。

この点は同社の株式引受人の大部分が「城山荘」出入りの大工、自動車運転手、酒屋、同旅館の雑役夫などで出資金の払い込みを全くしておらず同人らは設立に際して名前を貸してほしい旨、被告人に依頼されて印を押したものにすぎず、創立総会議事録も書類の形式をととのえる意味で作成されたものであることからも明白である(符3号「犬山国際観光ホテル城山荘会社設立関係書類綴一綴」、被告人の大質「32・8・29付、32・9・27付、12冊」、松田正己作成の上申書「6冊」、水野厚三、稲垣栄千の各証言調書「5<公>1冊」、田中茂樹、松田正己の各証言調書「7<公>1冊」、堀場鉄二郎の証言調書「36・5・9、2冊」、水野厚三の検調「14冊」等)。

五  そこで更に進んで「城山荘」経営の実体について検討する。

本件係争年度における旅館営業についての主務官庁への届出、許可などが被告人の主張するように松太郎名義(30・11・16付)でなされ、被告人は31・3・23付で支配人として選任登記されている(<大>池田伍作作成の回答書6冊、及び<大>竹市肇作成の調査確認書32・9・20付6冊、「閉鎖」商業登記簿謄本「475号」)。この面をとらえて被告人も松太郎が経営者であるとの主張を従来固執してきたものであろう。

しかしながら被告人の妻であった森下都の大質(24冊)、被告人の息子である中尾正三の大質(24冊)、被告人の知人大久保右治の検調(12冊)、同栗本喜代一の検調(12冊)、菊池六輔の証言調書(5冊)、堀場鉄二郎の証言調書(2冊)、島田はな子の証言調書(2冊)、山田隆の証言調書(36・5・92冊、52・5・25 22冊)、菊池六輔の検調(34・2・24 14冊)、島田はな子の検調(14冊)などを総合すれば被告人が「城山荘」を経営していたことを認定するに十分である。

とくに前記山田隆の証言調書(52・5・25 22冊)に「33年2月に城山荘を出た。いてもいいことなし、金を出しても利益、分け前なし、名前を使われているがそれだけのことでおってもしようがないから……」とあるのに注目したい。松太郎が城山荘の経営者であるならこのようなことは考えられない。松太郎が真の経営者ではなかったが故に、利益も分け前も貰えず城山荘を出たものと解するのが妥当である。

又、被告人が「城山荘」の経営者であったことは次の証拠物からも裏付けられる。

符1号(日記帳)、符2号(日誌)は、「城山荘」の業務上の日々の記録と目されるものであるが、この中で被告人は「社長」、「社長様」と呼ばれ、その内妻二村隅子も「二村様」と呼ばれているのに、松太郎は「山田」、息子の隆も「隆」といずれも呼び捨てにされている(前掲水野厚三の証言調書参照)。又、符2号の日誌の各頁には被告人の検印があるのに松太郎の検印はない。これは経営者である被告人が常時「城山荘」に滞在して業務を見ることが出来ないので、従業員に日々の業務に関する日誌をつけさせ「城山荘」へ来た都度、被告人が検閲していたものとみるのが当然である(前掲島田はな子の証言調書参照)。

城山荘内にあったこれらの日記帳を松太郎らが閲覧していないとは到底考えられず松太郎、隆両名共被告人が社長様、内妻が二村様と呼ばれ、自分達が呼び捨てされているのを長期間そのままにしていたのは被告人が「城山荘」において優越的地位にあったことを容認していたからと見ざるをえない。

さらにし細に右日記帳及び日誌の記載を検討すると、次のような記載が認められる。

符1号(日記帳)について

30・12・11に、被告人の印

31・1・28(土)に、被告人の印

2・13に、社長様東京出張

2・14に、山田帰る

2・15に、早朝社長様帰る、正三様(被告人の息子である)来荘

2・16に、山田が三回行った、社長様訪問・・・

2・18に、山田松太郎、隆、三谷へ帰る

2・20に、山田城山荘へ出て来た

2・29に、社長東京出張、二村様名古屋集金

3・4に、山田が・・・に行った

3・5に、二村様面接、社長様がジャンパーを・・・

3・6に、二村様採用

3・7に、社長名古屋出張、山田が・・・に行った

3・8に、社長名古屋出張、山田が・・・に行った

3・9に、社長、二村様名古屋へ出張

3・21に、社長不在の為備品を買ふことははばかられたが・・・急ぐこ 思はれるので隆が一諸に名古屋・・・へ見に行った

6・28に、社長さん帰られ

7・31に、山田午后一時頃帰郷す、中尾さん・・・

8・1に、山田午后帰り来る、二村さん・・・

32・1・7に、社長、山田が行った

1・9に、二村さん社長東京へ

1・29に、二村氏

2・4に、中尾氏東上す

2・6に、山田蒲郡に・・・隆は東上す

2・11に、山田・・・

2・12に、隆帰る

2・22に、中尾正三氏が来た

2・25に、本日中尾氏大阪に行かれた

3・1に、中尾氏帰る

3・4に、中尾氏・・・

3・7に、中尾氏・・・

3・10に、中尾氏・・・

3・25に、中尾氏・・・

符2号(日誌)について

略、各頁に被告人の検印がある他、30・9・16には「敬称省略のこと」との被告人の指示がある。

さらには、仕入日計表(符37号)、入出金伝票(符90ないし94)の承認欄には被告人の押印があること等からも被告人が城山荘の実体を把握していた証左とみられる。

その他、符8号(手帳)、符9号(手帳)の次のような記載からすれば被告人は「城山荘」経営から得た収益を自由に自己の用途に使用し或いは「城山荘」で優越的な立場にあって指示命令したりしているのに、松太郎の存在はまことに稀薄というほかない。要するに松太郎は名目上の営業主で真の営業主は被告人であることを推認させる記載が多々存在するのであるが、これらについて被告人はなんら首肯しうる説明をしていないのである。

符8号(手帳)について

11・2~11・5の欄に

被告人が東京から電話で二〇〇万どうしても都合してくれと言うので・・・旅館の金を一〇〇万都合すると返事

11・13~14の欄にも同趣旨の記載

6・23~24の欄に

給金を四千でも五千でもとって裏で又、給金を四千でも五百でもとればいいと被告人が隆に云った(これは表の経理では利益を出していないので給金を出す余地が少ないから裏の脱税分で給料とは別途にとれとの意味であろう)。

2・20の欄で被告人が隆に「あんな能力のない人間が感情で言った事に対手にならんでおれば良い」と批判。

5・22の欄に被告人が隆に「板場の勉強をせよ。」と指示。

6・23~24の欄に、被告人が隆に「まん然と居ないで何にかしたらどうだ」と批判。

7・1~2の欄に、被告人が隆に「会計をやれというので仕方なしに二村から受けついだ、表の現金は一六、三五一円なり」

9・2の欄に「ホールの許可をとるのに被告人が怒迫的に名前を使ふといふので父が拒否した」。

2・2~3の欄に9月10日、土、晴「9時まで寝ていてやったが山田の判がいるとて探したらしいが別に怒らなかったからいよいよおかしい。旅館営業申請書を岐阜まで出して来いと言われて電車で出かけた(これは山田姓以外の者が山田の判をさがしたことを意味し山田姓以外の者が山田の判を使って隆に旅館営業申請書を出してこいと指示したものと解される。

この手帳の末尾から一二枚目に鉛筆書で「税務署、裁判所関係は責任をもってくれること、名前を使っても、こちらへ迷惑のかからぬ様」、以上のような各記載がある。

符9号(手帳)について

32・2・4付で「会社の金、三井銀行の預金6万と山田正三東海銀行犬山支店の200万円を被告人が出して東京で自分のやっている株の資金に持って行った」

2・5付で「被告人が父(松太郎)に息子(隆)を東京へよこせ、案内してやる。飛行機で回数券を買って会社の金で払えばいいといった」。

3・9付で「今日、金庫の現金より80万、東海銀行の山田正三名義より40万出して120万の小切手を作り社長に渡した。東京の株集めの資金だ、今日までに313万行っている。今日のと入れると433万になる」。

3・10付で「晩に帳場で二村を通じて120万の小切手を渡した」。

4・14付で「被告人が山田正三名義から157万円、現金で43万計200万もって行ったので父が怒っている」。

1・8付で「洋室で今後の対策について長いこと話していたら寒くなった、今度いい機会だから名前を誰れかに変へてしまふと中尾氏はいう丁度いいと思ふ(城山荘の営業名義について松太郎が秘告人に名義だけを利用されていることをうかがわせる)」。

この手帳の末尾から二〇枚目に社長立、一時貸として明細が書かれてある。以上のような各記載がある。

なお符146号(手帳)のメモ欄(末尾から34枚目)の記載は被告人が旅館経営者としての従業員に対するあいさつの文章である。

以上の各証拠を総合すると、「城山荘」の実体は、被告人がその事業運営の主体であって、経営者として従業員らにのぞみその運営を指揮監督し、収益を支配していたものとみざるをえない。

これに反し松太郎が経営者であることを支持する証拠としては、僅かに松太郎の証言調書(8<公>1冊)があるのみで、これを裏付ける資料としては前述の旅館業の営業許可名義が松太郎だということと、被告人が松太郎から支配人に31・3・23選任されたという「閉鎖」商業登録簿謄本以外にはない。しかしこの種の営業許可名義人が必ずしも実質上の経営者であるとは限らないことは巷間しばしば見受けられることであって、実質所得者が別人であることが証明されない限りは、右名義人に所得が帰属するものといわざるをえないこと弁護人所論のとおりであるが、上記認定説示したように本件では実質的にその事業を経営する者が被告人であると証明された場合であるから前記認定の妨げにならず、又支配人登記の点については、支配人であるという被告人が常時「城山荘」の収益を自由に使い支配していたという事実に徴し、右登記は何ら実体を反映するものではなく、前記認定の妨げにはならず、前記認定に反する松太郎の証言調書は前掲各証拠に対比して措信できない。

以上の次第であるから「城山荘」の事業所得は実質的にその事業を経営する被告人に帰属するものというべきである。

六  その他、被告人の主張について

城山荘の地代算定につき検察官が認定した以上の地代を損金として経費に算定すべきであるとの点について(103<公>24冊)

右主張に副うものとして被告人は鑑定評価書と判決書謄本(いずれも22冊)を堤出するが、右判決は係争年度に関するものではなく又当時の貸主の得ていた賃料以上の金員を経費とみる必要も合理性も存しないと考える。

(吉村東照及び島崎達夫の名義について、-金融業及び有価証券業に関し―)

被告人は、右両名は、実在の人物であって、被告人に対する金主である(とくに昭和飛行機(株)を担保とする菊池六輔に対する融資は、吉村東照が被告人を介してなしていたものである。)旨主張する。

しかしながら、中元兼一(2冊)、富田千明(4冊)、関根宗典(4冊)、見学玄(14冊)の各証言調書、斉藤正直の大質(14冊)、大久保右治(12冊)、栗木喜代一(12冊)、三木喜太郎(14冊)、菊池六輔(14冊)の各検調、富士銀行新橋支店虎ノ門出張所の証明書(8冊)、手帳(符144号)等を総合すると、右両各が実在人であるか否かはともかくとして、少くとも、本件に関する限りにおいては、被告人はその事業遂行の便宜のため右両名の名を自称して行動し、その名義で預金口座を開設、使用するなどしていたものと認められる。

吉村竹代の証言調書(20冊)、被告人の供述記載中には、右認定に反する部分があるが措信しがたい。

(有価証券業について)

一  有価証券業についての争点は多岐にわたるが、事実問題に関する主要な争点は、検察官は、被告人は、三一年度において、所得金額計算書有価証券売買業科目売上の項掲記のとおり(ただし昭和飛行機工業(株)〔以下昭和飛行機という。〕の株については単価三八〇円で合計四一万九、五〇〇株を代金一億五、九一五万八三〇〇円で野村証券に売却したものであって、桑原彦二郎に対する二万株の売却の記載は削除するとのちに修正した。)株の売買取引をしたものであると主張するのに対し、被告人は、大同石油の株については、自ら売買したことを認めるも、それ以外の株については、いずれも菊池六輔が売買したものであって、被告人は単に同人にそれらの株券を担保にして金員を貸付けていたものにすぎないと主張する(別人の吉村東照が被告人を通じて貸付けていたものであるという主張であるが、被告人即吉村東照であることは、前項で判示したところである。)。

二  まず、本件株式取引のうち最大の争点である昭和飛行機(株)(被告人の所得はほとんどこれにより得たものとされる。)について考察する。

1  仕入面からの考察

まず被告人の仕入れであるとする検察官の論告要旨七七丁、七八丁記載の主張について考察する。

(一) 検察官は、被告人は、31・8・7から31・9・27の間昭和飛行機(株)を、三興証券、大福証券、三伸証券、錦証券及び大井証券に対し、委託注文をなし、計三五万五、八〇〇株を仕入れ、別に当時三興証券の外交員であった有賀宣治、同井上政雄及び知人の桑原彦二郎から計六万四、二〇〇株を買い、以上合計四二万株の、うち四一万九五〇〇株を31・9・26から31・9・28にわたって野村証券に代金一億五九一五万八、三〇〇円で売却し、売買差益四、七一〇万二、一五〇円を得たものであると主張し、右仕入れが被告人がしたものである第一の根拠として、いずれも仕入先である、三興証券経理部次長菊池正之助の上申書(14冊、以下菊池正之助上申書という。他の証券会社のものもこれに準ずる。)、大福証券経理部長岡憲上申書(19冊)、三伸証券代表取締役社長三木喜太郎上申書(17冊)、錦証券代表取締役社長上者英夫答申書(18冊)、大井証券京都支店三宅康之答申書(18冊)、三興証券社員井上政雄の証言調書(5冊)にそれに副う記載のあることをあげている。

ところで本件では、右が被告人の注文によるものか菊池六輔の注文によるものであるか或は証券会社員のテバリが含まれているかということが争われているのであるが、次のような認定を困難ならしめる事情が存する。

すなわち

(1) 証券会社は、新規に客から委託注文を受けた場合その口座を開設するには一般には氏名、住所等を記載した弁90の1の新規顧客登録表の如き形式の書面の届出を受け、それが仮名口座を開設して行われる場合には、松尾功の証言調書(24冊)にもあるように顧客とのトラブルを防止し、売買報告書等の送達に資するため弁90の2ないし6の念書とか仮名使用届の如き書面を作成するのが通例と考えられのであるが、本件ではそれは全然提出されていない。

(2) 又委託注文の際に作成される弁93の如き委託注文書や弁95ないし100の如き注文伝表(それには顧客名、銘柄、数量、指し値、成行きの区別、約定日時、約定価格の記載がある。)や証券会社の法定帳簿である有価証券売買日記帳(弁105)、受渡計算書、売買報告書(弁118)が提出されていない(検察官提出にかかる受渡計算書、売買報告書は、吉村東照方で押収されたもので全体の一部にすぎない。)。

これらがもし存在し、証拠調をしたならば、当該口座を利用して取引をした者は誰であるか、さらには、個々の委託注文がどういう形でいつ発注され、いつ約定が成立し、誰に受渡したなどの諸点を確知する上において直接的かつ最有力な証拠となりうるものであるが、これらが提出されないので、本件で証拠として提出された前記上申書等から前記主張事実が認められるか否かを多面的に検討して判断を示さざるをえない。

(二) そこで以下検察官の主張する前掲証拠についての検討に移る。

(1) 菊池正之助上申書について

(イ) 右上申書の追て書には、三興証券の吉村東照口座は同人のもの、菊池久他七名の口座は、菊池六助の注文による売買によるものである旨記載されているが、添付の顧客勘定元帳(写)は、口座名義人の金銭勘定の明細を記載したものにすぎず、同じく番号帳は、株券の受渡の際にその記番号と株券の受入先と引渡先とを明らかにするにとどまるものであって、右吉村東照口座が被告人のものであるとする根拠を直接証明する資料にはならない。

(ロ) 検察官は、同証券会社の菊池久口座は、被告人と菊池六輔の共同口座であると主張している。

そうだとすると右上申書の記載とは矛盾することであり、検察官自身右上申書の記載に全面的な信用を置いていないことを示すことになる。

(ハ) この点菊池正之助上申書追て書の記載によると、同人が担当社員の井上政雄に本名を糺したところ前記の回答を得たとあるが、井上政雄は、証人として「委託の注文は、すべて菊池六輔からあったものであり、買付報告書も同人に交付していた。ただ代金は当初の二、三回を除いて被告人から受領し、被告人に株券を渡していたものである。」旨又自分は、菊池正之助からは右上申書記載のような口座について尋ねられた記憶はなく、右追て書の記載は事実に反する旨述べているのである。(井上政雄の証言調書、5冊)

(ニ) 以上をあわせ考えると、右上申書の記載は必ずしも的確なものとはいえないと思料する。

(2) 岡憲上申書について

(イ) 右上申書には、大福証券吉田一郎口座は、店頭受渡客であると記載されているにとどまり、被告人の口座であるという記載はないし、添付書類としても、右口座名の顧客勘定元帳写が存するだけである。

(ロ) この点右岡憲(20冊)、元帳記帳者の松尾功(24冊)の各証言調書によるも、右受渡客とは誰を指すのか必ずしも明らかではなく、同証券営業部長田仲一彦は、証人として、「右口座については、菊池六輔から頼まれて開設したものであり、注文も同人からあり、買付報告書も同人方に送ったものであって、株券が入ると、同人の経営する店に持参して授受し、計算書を渡したものである。」旨「その代金は、現金を受取る場合もあり協和銀行九段支店の菊池妙子名義の小切手で貰ったこともあり、吉村東照名義の小切手で貰ったこともある。資金的なバックが被告人で現実的な利益を受けたのは菊池六輔だと思う。菊池は一億位昭和飛行機(株)の取引で儲けたからその金で水野五郎名義の口座で引続き他の株の取引をしたものである。」旨述べている(田仲一彦の証言調書、4冊)。

(4) 三木喜太郎上申書について

(イ) 右上申書には、三伸証券の吉村(東照)、吉田、水野らの口座は、いずれも被告人の口座である旨記載されているが添付書類としては、右口座名の顧客勘定元帳写があるだけで、なぜ当該口座が被告人の口座であるのかその根拠は何ら示されていない。

(ロ) 検察官は、右の吉田、水野両口座は、被告人と菊池六輔の共同口座であると主張する。しかしそれは右上申書の記載と明らかに矛盾し、検察官自身右上申書の記載に全面的な信頼は置いていないことを示すものといえる。

(ハ) 三木喜太郎の検調(14冊)、大質(14冊)には、「右各口座の取引は被告人との取引であって、株券の受渡しは店頭又は吉村方でなし、その支払は被告人が吉村東照又は島崎達夫名義の小切手でされた。」旨記載されている。しかし右各調書は、同人が死亡したので刑事訴訟法三二一条一項三号により採用されたものであるが、反対尋問を経ていないのであるから本上申書についてはその点をふまえてその信ぴょう性については慎重に検討すべきである。この点について、菊池六輔は証言調書(5冊)で、「水野口座は、自分の口座であり、水野という自分の息子がいる。三興、大福、三伸各証券会社の上申書記載の中で被告人と自分の分と買分を区別するのは困難でできない。代金の決済は、被告人がしたが、大福、三興、三伸の買注文は、ほとんど自分がしたものである。市場から買った株の受渡しの場所は、自分の家であり、買ったときの報告書も自分のところに来たと思う。」旨供述しており、右供述並びに前項(ロ)に対比して考えると、右上申書は必ずしも的確な証拠とはいえないと考える。

(4) 上者英夫答申書(昭和飛行機(株)に関する分)について

(イ) 右答申書には、錦証券の太田、菊谷、高田口座は、被告人の取引口座である旨記載されているが、添付書類はなく、右口座の取引に関する顧客勘定元帳と記番号帳の抜すいが記載されているだけで、なぜ当該口座が被告人のものであるのかその根拠が示されていない。

(ロ) 錦証券の上者英夫の証言調書(2冊)によると、「この受注は、被告人から直接錦証券にあったものではなく、同人の父上者清司(京都証券社長)から廻って来たものであって、上記答申書に被告人の分として記載したのは、父からそれが被告人の分であるといわれたからである。売買報告書も自分の方からは送っていない。」というのであって、直接関係した者の証言でなく、十分な証明力を具備するものとはいえない。

(ハ) ところで菊池六輔はその証言調書(5冊)において、昭和飛行機(株)を錦証券から自分において買ったことを認めている。

(ニ) 以上あわせ考えると、右答申書の記載の信ぴょう性については疑問がある。

(5) 三宅康久の答申書について

右答申書には、大井証券京都支店の吉田及び荒木口座の顧客勘定元帳写と記番号帳の抜すいが記載されているのみで当該口座が被告人の取引口座であるという記載はなく、その点を認めうべき証拠もないので右上申書によるも右口座が被告人のものとは直ちに認めがたい。

(6) 井上政雄の証言について

検察官は、「有」 24丁記載の八月三〇日買入先三興証券有賀宣治一万六、〇〇〇株、九月二七日仕入先同証券井上扱(黄金を含む。)四万三、〇〇〇株、同日仕入先桑原彦二郎五、二〇〇株は、被告人が同人から買入れたものである旨主張し、それに副う井上政雄の証言があるとする。

(イ)(a) 右のうち桑原彦二郎買入分について井上政雄の証言調書(5冊)では触れておらず、かえって桑原彦二郎の大質(14冊)によると、「被告人との間で株の売買はしたことがなく、前に菊地六輔から二万株を単価二四〇円で譲受けた分と極東証券等から仕入れた六、五〇〇株、合計二万六、五〇〇株を菊地から大部値が上ったので売らないかとすすめられて、その時の時価で代金と引換に譲渡した。」旨述べているのである。

(b) そうだとすると右桑原彦二郎から九月二七日被告人が五、二〇〇株を二〇〇万円で買ったという点はたやすく認めがたい。「預」223丁富士銀行新橋支店虎ノ門出張所吉村東照当座預金口座から九月二八日二〇〇万円の払出が認められるが、これはその資金として菊地六輔に対し貸しつけた金とみられる余地が多分にあるので右判断の妨げとならない。

(ロ) 右有賀分と井上扱分については、井上政雄は、被告人が同人らから買入れたものである旨証言している。(同人の証言調書、5冊)この点について有賀宣治の大賀(24冊)、菊地六輔の証言調書(5冊)もそれに照応する供述をしており、「預」211丁、220丁、223丁、213丁に右金額に合致する前記銀行吉村東照口座からの出金も認められるので、以上の各証拠を総合すると、これらの分については被告人が、有賀らから買入れて自己の所有株としたもの(後に野村証券に菊地を通じて売却したもの)と認めざるをえない。

被告人主張のように、株券の特定ができないこと、有賀や井上から被告人が買入れたことを直接に証明する受領証のような証書がないことなどの諸点を考慮するも、前記の関係者の一致した供述をくつがえすことはできない。

(三) 次に検察官は、吉村東照方から差押えられた買付報告書、計算書の中に右証券会社からの仕入株に該当するとみられるものが多数存在することを第二の根拠とし、吉村方で押収の符142号の買付報告書を証拠としてあげている。

(1) しかしながら各証券会社の関係者の証言調書、上申書等によるも、右吉村方或は被告人に対し、右買付報告書等を直接送付又は交付したという事実は認めがたい(前示のように、それに副う如き記載のある三木喜太郎上申書は、的確なものといえない。)。かえって井上政雄(5冊)、菊地六輔(5冊)、田仲一彦(4冊)の各証言調書によると、右買付報告書等は、菊地六輔方に送付し、或は同人に交付されていた事実が認められるのであって、菊地を経て被告人の許に株とともに移ったものとみられる。

(2) 又符142号(株式売買報告書一袋)の中に存する買付報告書中昭和飛行機株の分は合計一七枚一一万六、〇〇〇円にすぎず、しかもその中には、検察官が被告人が仕入れたとされた時期より前の、菊地久口座の買付分が三枚計三、五〇〇株含まれている(この分については菊地の買入分と検察官ですらみているのである。)。

(3) 以上のような事実に徹すると、吉村東照方が被告人の東京における活動の拠点であるとしても、同所から右報告書等が押収されたことを以て直ちに被告人がそれに記載の株券を自ら仕入れたものとみることはできない。

(四) 次に、検察官は、右仕入代金のほとんどが吉村東照名義の預金口座から支払われていることを第三の根拠としてあげている。

(1) しかし「有」-13以下24丁までの仕入明細の「左欄記載の金額に対する入出金の内容」の項をみると、菊池六輔の預金口座とみられる口座より支出のもの(例えば「有」-14丁の記載)や全額又は一部現払とあるもの(例えば「有」-24丁の記載)も被告人の仕入分として記載されているのであって検察官自身必ずしもそれが菊地六輔と被告人の各仕入分を区別する唯一の根拠としていないのである。

(2) 菊池六輔は、その証言調書(5冊)で「証券会社に対する発注は自分の方一本で続けたが、代金は、自己資金があれば自分で払つたが、あとになると被告人の方で払つてくれた。自分の発注した株は、時価の七掛か七掛半で被告人に担保に入れたが時価が上つたので枠が増え末期になると代金は全部被告人が立替えてくれ、株券は自分の家で受け取りそのまゝ被告人に渡した。従つて被告人の銀行預金の変動と株の所有権の移動とは一致しない。」旨の証言をしており、被告人が公判廷で述べる(108<公>)ところの「菊池に対する昭和飛行機株を担保とする貸付については、当初は、菊池が証券会社から株を受取つて、一旦自分の占有に移したあと、私のところに来てそれを担保に供して金を借り、一旦自分の口座に入れて株購入資金にあてていたが自己資金が限界に達すると、証券会社から株券と引換に渡すべき代金を調達することができなくなり、その後は貸主である私が菊池のところに行つて株代金を同人に交付し、同人は私の目の前で証券会社の人にそれを渡し引換に受取つた株券はそのまゝ私が担保として受取るという形になりました。この場合貸金は菊池の口座に入金され、そこから証券会社に交付するという経路がはぶかれて証券会社にそのまゝ入金という形になるわけです。」旨の供述と大筋で合致し、あながち否定できないものがある。「預」の前記銀行の吉村東照口座からの出金が「有」-13丁以下の証拠らん記載の経路で直接各証券会社の入金に結びつくとしても(小林忠三、加藤考之の各証言調書参照)、右のように被告人が証券会社に対し、菊池六輔の発注分を立替払したものとみられる余地が多分にあるので、前記の点をとらえて証券会社から被告人が直接仕入れたものとする根拠とするには必ずしも十分とはいえない。

(五)、次に検察官は、第四の根拠として、昭和飛行機(株)の株式課長であった今野重三、同会社の常務取締役橋本正義の証言によれば、被告人は、吉村東照と名乗って、昭和飛行機の本社に株の名義書換えに行き、吉村東照、島崎達夫、菊池六輔、江川いくの、二村すみ子、森下都らの名義に書き替えたことからでも明らかである、と主張する。

なるほど今野重三(4冊)、橋本正義)(14冊)の各証言調書及び小沢回答書(17冊)、今野重三作成の「昭和飛行機工業KK買占関係調」と題する書面(24冊)及び被告人の供述記載(108公)によると、菊池六輔名義の株については、同人において名義書換手続をしたうえで被告人に担保に供したものもあるが、その分を除いた前記各名義の書換手続は被告人においてしたものと認められる。しかし、被告人の供述記載によると、担保として菊池六輔から提供を受けた株については、担保権者としての権利確保のため、或は配当や新株の割当を受けるなどのために自己又は自己の支配する名義に書換えたものであるというのであり、このことは菊池六輔自身その証言調書(5冊)で「受渡しを済ませた株の名義はどうなるか」という質問に答えて「名義は会社に対する一人の株式で書いておくことは外部に洩れると具合が悪いのでいろんな名前に分けたのです。名義書換には私は立ち会いません。」と述べていることも照応し、肯認できる。

従って前記名義に書換えたことを以ってそれが被告人が仕入れたものであるという根拠にはならないと思料する。

(六)、各口座毎の検討

被告人の仕入について、検察官は、三興証券においては、菊池久及び吉村東照口座を、大福証券においては、吉田一郎口座を、三伸証券においては、吉田、水野、吉村口座を、錦証券においては、太田、菊谷、高田口座を、大井証券においては、吉木、荒井口座を利用し、うち三興証券の菊池久口座、三伸証券の吉田口座、水野口座は菊池六輔と共同して使用していたものである、と主張し、以上の点は前記各証券会社の上申書(答申書)、菊池六輔の検調、大質で明らかであるという(論告要旨81丁、82丁)。

しかし右各上申書(答申書)がいずれも必ずしも的確なものといえず、又立証資料としての価値に乏しいものであることについては、前項において詳細に説示したところであるし、菊池六輔も、「各証券会社の上申書から被告人と同人の買分を区別することは困難でできない。自分から注文がでたのは一本だから株屋がこれは被告人の分、これは菊池六輔の分と処理できない。」旨証言している(同人の証言調書5冊)。同人の検調、大質には、検察官の前記主張に副う部分があるが、右証言調書の供述に対比し且後記各点に対比し採用できない。

以上のような点を考慮しつつ、以下検察官が被告人の仕入口座であると主張する各口座について、これまで検討を加えたことのほかに株の流れなどの面からさらに検討を加えることにする。

(1) 三興証券菊池久口座

検察官は、右口座は、被告人と菊池六輔の共同口座であるが、うち「有」-13丁以下記載の取引分が被告人の仕入分であると主張する。

しかし、右両名が別々に同証券に委託注文を発し、当該口座の取引を成立させたということを立証する直接の証拠は何も存しない。加藤孝之の証言調書によると、当時調査に当った国税局としては、その区分は、受託契約の発注又は契約自体によったのではなくて、小林忠三大蔵事務官の調査した「預」(15冊)に基き、右口座の取引のうち被告人の口座とみられる富士銀行新橋支店虎ノ門出張所の吉村東照口座からの出金と結びつきが認められるものを被告人の取引分として認めたものであるというのである。しかし、必ずしも、その結びつきが認められるからといって被告人が仕入れたものといえないことは前に説示したところであるし、また現に大福証券吉田口座については菊池六輔の銀行口座からの出金と結びつくものについても被告人の仕入分として起訴しているものもあるのである。

のみならず、

(イ) 菊池正之助上申書と野村番号帳を論告資料に基き照合すると、「有」-13丁以下に記載の菊池久口座の合計株数は一〇万三、〇〇〇株であるが、野村証券に売却された五二万株と一致するものは約四万二、二〇〇株にすぎず、かつ、それらは、被告人と関連する名義と思われる吉村、江川、二村のみならず、菊池六輔名義に株主名を変更の上その売買名義で野村証券に売却されているものも存する。

(ロ) 被告人が右口座を利用して仕入れたとされるのは「有」-13丁によると三一年八月九日以降株買入代金が支払われた分からであるが、菊池六輔が同口座を利用して支入れたとされるそれより前の分(菊池正之助上申書14冊26丁表面全部)を、右上申書と野村番号帳(21冊)と対照して論告資料で調べると、野村証券売却株と一致する分は、菊池六輔名義のみならず、被告人の関係名義とみられる吉村東照、二村隅子、島崎達夫の各名義に株主名義が変更され、かつ、その売買名義で野村証券に売却されていることがわかる。

(ハ) 又「有」-13丁には記載されていない八月二一日代金支払分七、六〇〇株(菊池正之助上申書14冊26丁裏面末行から三行分)は、右上申書と右野村番号帳を対照して論告資料で調べると、桑原彦二郎に株主名義が変更されて同人の売買名義で野村証券に売却された分が含まれているのみならず、山本、水野、井上各名義で野村証券に売渡された株券が含まれているのである。

(ニ) 以上のような株券の流れの点からみても両者の区別は困難であり、検察官が「有」で主張する分が被告人のものであるとすることはできない。

(2) 三興証券吉村東照口座

検察官は右口座は、被告人の単独口座と主張される。なお菊池正之助上申書の顧客勘定元帳写の同口座仕入れ分は、二万七、〇〇〇株であって、「有」-13丁、14行以下に記載の二万七、八〇〇株より八〇〇株少ない。)。しかし前記論告資料等で対照して調べると、野村証券に売却された五二万株と一致するのは約一万七、八〇〇株にすぎず、それも吉村、江川名義が書換えられたものと、名義書換しないで売買名義人が井上一夫名義で野村証券に売却されたものも含まれていることがわかるのであって、右株の流れの点からみても、右株が被告人の仕入分であるとするには疑問がある。

(3) 大福証券吉田一郎口座

前示のように田仲一彦の証言調書(4冊)、菊池六輔の証言調書(5冊)によると、右口座は、むしろ菊池六輔の口座であることが推認されるのであるが、株の流れの点から検討しても、

(イ) 論告資料で対照して調べると、株主菊池六輔名義に名義書換の上売主同人名義で野村証券に売却された株の中に右口座仕入分が約三万六〇〇株含まれていることがわかる。ところで同名義株が菊池六輔の所有であることは、同人の認めるところである(同人の証言調書5冊)。

(ロ) さらに論告資料によると、桑原彦二郎名義で野村証券に売却された二万六、九〇〇株のうち同人が株主名義である二万株のうち約一万四、八〇〇株と右仕入分とが一致している。桑原彦二郎の大質(14冊)によると、右株券は菊池六輔から買いうけた二万株と、極東証券から買った六、五〇〇株である旨供述しているのであるが、野村番号帳(21冊)によると、二万株は株主が同人名義のもので、六、五〇〇株がいわゆるバラ株であるから、右二万株は、同人が右菊池から買いうけた株とみるべきである。

(4) 三伸証券水野口座

検察官は、右口座は、被告人と菊池六輔の共同口座であると主張するが、菊池六輔は右口座は、自分の口座であると証言している(同人の証言調書5冊)。

のみならず、

(イ) 被告人の仕入分として「有」-22丁上から6行目ないし23丁上から13行までの九月二一日から二八日までの仕入分合計二万一、九〇〇株中後記四、五〇〇株を除いた分は、野村番号帳333丁から345丁に掲記の、野村証券に売主菊池六輔名義で売却した二万六、九〇〇株(西田明細表の最下欄記載の分)の中にすべて含まれていることが論告資料で対照して認められる。ところで小林忠三の証言調書(17冊390丁)によると、右二万六、九〇〇株は、被告人とは無関係に菊池六輔が単価四〇〇円で野村証券に売却した分であると認められるし、又右の分を除いた四、五〇〇株(三伸番号帳6冊514丁裏下から5行から509丁5行)は、小沢回答書(17冊)に記載されている、菊池六輔に配当金を支払った株に、株数、券種、株主名義の諸点からみて該当すると推測される(小沢回答書には記番号は登載されていない。)。そうだとすると右回答書の株式の名義書換調で31・9・29に株主名義が同人に変更されている分にそれが該当する。

(ハ) 以上のような株券の流れの点からみると、右株が被告人の仕入分であると認めるには多分に疑問がある。

(5) 三伸証券吉田口座

検察官は、右口座も被告人と菊池六輔の共同口座であると主張するが、前述の菊池六輔の証言調書(5冊)に徴し、首肯しがたいのみならず、株の流れの点からみても、

(イ) 三伸証券三木喜太郎上申書添付の顧客勘定元帳写の吉田口座(17冊105丁以下)の売買取引株券の記番号を野村証券の五二万株の売却株券と論告資料により照合すると、一致した株は、二村分一〇〇株を除いて全部菊池株と一致する。この中には「有」-14丁以下において八月中に被告人が取引した分も含まれている(「有」-23丁下から10行の八月二四日二六〇〇株、「有」-20丁7~10行目の計三、四〇〇株)。

(ロ) 「有」-20丁下から三行丁下計四、一〇〇株を次丁一行によると、九月一二日金九九万一、九〇〇円を支払い、被告人が仕入れたとされるが、右株券は、日付等から論告資料の五七丁下から三行ないし五九丁三行の記載に該当すると思料する。これを論告資料で野村証券の五二万株の売却株券と照合すると桑原彦二郎に名義書換の上、売主同人名義で売却された株に一致する。

そうだとすると、前示のように、桑原が菊池六輔から譲渡を受けた株に該当することになる。

(ハ) 以上のような株の流れの点から考察しても右株が被告人の仕入株とするには疑問がある。

(6) 三伸証券吉村東照口座

検察官は、右口座は被告人の単独口座であると主張するが、前述の菊池六輔の証言調書に徴し、にわかに首肯しがたいのみならず、

(イ) 三木喜太郎上申書添付の顧客勘定元帳写(17冊117丁)の昭和飛行機株の取引株数は合計六、〇〇〇株であるが(「有」-20丁、21丁の吉村東照口座分の合計五、〇〇〇株と一、〇〇〇株のくいちがいがある。)そのうち四、一〇〇株が野村証券に売却された五二万株中に一致するも、その名義は吉村に三、三〇〇株、菊池に八〇〇株それぞれ名義変更の上当該売主名義で野村証券に売却されているのである。そうだとすると右の株券の流れの点からみても右口座による仕入分が被告人のものであるとするには疑問がある。

(7) 錦証券太田、菊谷、高田口座

上者英夫答申書の記載が前述のように的確性に乏しいのみならず、右答申書の記番号と野村番号帳を論告資料で調べると、野村証券に売却された株と一致するものはすべて菊池六輔名義に株主名義を変更した上売主同人名義で売却されていることがわかる、菊池六輔名義のものが同人のものであることは同人自身証言で認めており(5冊)、この株の流れの点から考慮しても右口座による仕入分が被告人の仕入れたものであるとは認めがたい。

(8) 大井証券吉田、荒木口座

三宅康之答申書の記載からは右口座が被告人のものといえないこと前述のとおりであるが、株の流れの点から考察しても、右答申書の記番号と野村番号帳を論告資料で調べると、野村証券に売却された株と一致するものは、すべて菊池六輔名義に株主名義を書換えた上売主同人名義で売却されたことがわかる。菊池六輔名義のものが同人のものであることは同人自身証言で認めており(5冊)、この点からみても右口座による仕入分が被告人の仕入れであると認めることは困難である。

以上の次第で検察官は、前記各証券会社の取引口座は、被告人の口座であるとか、被告人と菊池六輔の共同口座であると主張する(後者の場合は、銀行預金の結び付き等から被告人の発注のそれと区分して)が、必ずしも以上の点からは立証十分であるとはいいがたいといわざるをえない。

これを他の面からさらに考察をする。

2  菊池六輔の供述について

(一)、菊池六輔は、本件でもっとも重要な人物であるが、その経歴、被告人との関係、自らも国税局から被告人と共犯の疑いがかけられていた立場に置かれていたこと、証拠湮滅をはかった形跡がみられることなどを考慮するときは、その供述については、慎重に考慮すべきである。ところで同人は、その検調、大質において野村証券に売却した五二万株中自己の所有株は約一〇万株であった旨の供述をしており、その証言調書(5冊)でも、自己の株主名義に名義変更の上自己が売主名義で野村証券に売却した一〇一、二〇〇株については自己所有株であることは認めるか、他は被告人の所有株であるが、或はいわゆるちょうちん株であかのように供述しているのでその点について考察する。

(1) 菊池六輔は、その検調(34・2・14付。14冊)において「私は、持家を売り一八一五万円の金を作って三一年六月下旬ころから昭和飛行機の株の買占めを始め、その株を被告人に担保に入れて一、〇〇〇万円借りて合計二、八〇〇万円位の資金で買占めを行った。私の買値は平均すると一株二八〇円位であったから野村証券に対する五二万株中一〇万株位が自分が買った持株である。」旨述べているが、証言調書(5冊)では、「自分の買った持株は全部被告人のところに担保に入れていた。私の手許に二、七〇〇万か二、八〇〇万あったがその金全部で昭和飛行機の株を買ったわけではない。平均して単価二四〇円から二五〇円で買った。」旨供述していて必ずしも明確な供述といえないので、この点は検調の記載に拠ることにして概算しても一、八一五万円で買った株を担保にして七掛で借りたとしても約一、二七〇万五、〇〇〇円借りれるわけである(利息の点は別として。)から、その一、二七〇万円で仕入れた株を又担保にして同率で借りたとしても計算上八八九万円借りれるわけである。約二か月という長い期間このようなことを繰返せば(しかも昭和飛行機の株価は急速に上昇しているからそれにつれて担保株に対する貸金の割合も順次高くなり、しまいには、代金全額を貸してくれた旨同人も証言しているところである。相当多量の株は所有できるわけで自己所有株が一〇万株位にとどまるというのは不合理ではなかろうか。

(2) 右検調によって概算すると、一〇万株として単価平均二八〇円の株を単価四〇〇円で野村証券に売ったというのであるからその利益は一〇万株で一、二〇〇万円である。利息の支払を別とすれば、計算上菊池六輔の手中には野村証券への売却により約三、〇〇〇万円入金されることになる。

しかるに、菊池六輔は、証拠によっても、少なくとも次のような多額の入金があったことが窺知されるのである。

(イ) 31・9・28一、五一七万六、〇〇〇円

菊池六輔が同日上野美治に右金員を貸付けたことは、上野美治大質(20冊)、柳広太大質(20冊)により窺知できる(これは、四田明細表の江川、二村分合計一、五一七万六、〇〇〇円と金額が一致し、小林一覧表によると、入金先が不明とあるので、これを交付したものと窺知できる。)。

(ロ) 31・10・1一、四〇〇万円の石川、豊山名義の銀行入金

菊池六輔は、大質(33・7・4付・18冊)で、協和銀行九段支店、石川二郎名義の普通預金照合表及び豊山一名義の同行の通知預金記入帳にある31・10・1一、四〇〇万円の入金は、昭和飛行機の持株を野村証券に売却した代金の入金であって、右預金口座名義は自分が使用していたものである旨述べてこれを認めている。

(ハ) 三、五〇〇万ないし四、〇〇〇万円の菊池妙夫、菊池法子名義の銀行入金

証人小林忠三は、証言調書(18冊)で、同人の銀行調査によって、野村証券に売却した代金中三、五〇〇万円ないし四、〇〇〇万円が菊池の口座とみられる協和銀行九段支店の菊池妙夫名義及び東京相互銀行神田支店の菊池法子名義の当座預金口座に入金になっていることが認められた旨述べている。

(ニ) 以上証拠により窺知できる菊池六輔の入金状況の点からみても同人の前記供述は不自然に思われる。

(二) 論告要旨(31丁以下)によると、検察官は、被告人が菊池六輔に対して、昭和飛行機の株を買入れる資金として菊池より買入時価の七掛ないし七掛半として計算した約束手形とその金額に応じた株を担保として受取り、貸付をした事実を認め、被告人の答弁書(追加分第三)(11冊)に添付の貸倒貸付金一覧表第二表進行番号2ないし11 約束手形一二枚合計三、六六七万八、八〇〇円については、右菊池が買入価格の七掛ないし七掛半として計算した株券を担保として被告人に渡しており、昭和飛行機株の買入れ資金としてこれらの借入金は、同株の自己の持株分の売却の際全部返済したものである旨主張される。この点菊池六輔も担保として自己所有の昭和飛行機株はすべて被告人に提供して金を借り、野村証券に対し、これを売却して清算した旨証言調書(5冊)でも検調(34・2・14・14冊)でも認めているのであるが、

(1) そうだとすると第一に菊池の右検調記載の被告人から菊池が借りたのは、一、〇〇〇万円である旨の供述と矛盾することになる。

(2) 第二に、右各手形の最終振出日は31・9・6であるから少くとも同月七日の時点において、菊池六輔は、右貸金合計三、六七七万八、八〇〇円(利息も含まれていると思うがこの際それはおくこととして)が時価の七掛ないし七掛半に相当する昭和飛行機株を被告人に差入れていたことになる。時価の七掛とすると計算上時価約五、二五四万円の株を担保に入れていたことになる。

九月七日までに菊池が仕入れた株価は変動しているので明らかでないが、試みに今野重三作成の株価気配表(24冊)によってみると、三一年八月中の市場における昭和飛行機株の平均株価は、二一一円ということであるから右金額に相当する株は約二四万九千株である。

ところで小沢回答書(17冊)によると31・9・7までに吉村東照(一五〇、一〇〇株)、二村隅子(二〇、〇〇〇株)、江川いくの(二〇、〇〇〇株)島崎達夫(一〇、〇〇〇株)、菊池六輔(四五、五〇〇株)計二四万五、六〇〇株の名義書換をした株があることがわかる。

被告人の供述記載によると、担保にとった株は、名義書換できるものは、すべてその手続をとったということであり、九月末が決算期であるから、九月七日ころまでに入手した株はまず名義書換をしておくのが通例と考えられるのであるが、そうだとすると、概算ではあるが右の二四万五、六〇〇株は、概ね菊池六輔が被告人に提供した株に当るものとみられることになる。

このような見方によれば、株主名義が、菊池名義のみならず、吉村、島崎、江川、二村名義のものもすべて菊池の所有株ではないかとみられる余地が多分にあるといわざるをえない(当裁判所としても昭和飛行機株を野村証券に売却した際すべて清算したというのにどうして前記約束手形が被告人の手中に存するのか不可解ではあるが、検察官の主張を前提とすると、このような見方がとれるということを示したものである。

(3) のみならず、検察官が、被告人が証券会社から昭和飛行機株を仕入れた最初の日は、31・8・7(「有」-13丁)であるとされているのであるから、それ以前の分は菊池六輔の仕入分ということになるが、それ以前の分は菊池六輔の仕入分ということになるが、それ以前に名義書換されている吉村東照名義の八月一日名義書換分三、九〇〇株については、菊池六輔が仕入れ、被告人に担保として差入れたものとみざるをえないことになる。

3  株主名義及び売上面からの考察

(一) 西田益三の証言調書(20冊)及び同人の明細表(17冊)によると、野村証券に対する売却は、売主として島崎達夫ほか九人の名義に分散してなされているが、そのうち株主名義と売主名義の一致するものは、島崎達夫、吉村東照、菊池六輔(ただし右明細表最下らんの二六、九〇〇株分を除く。)、二村すみ子、江川いくの、桑原彦二郎(ただし、二六、五〇〇株中二〇、〇〇〇株につき)の各株であって、他は、いわゆるバラ株である。

上来説示したように右株の株主又は売主名義とその所有者とは直ちに結びつくとはいえないし、これを認めうべき証拠もないのである(ただし、菊池六輔名義株を除く。この点後述する。)。菊池六輔も証言調書(5冊)において、「持ち株の数の区別というのは名義ではなく、何かそのとき手控のようなメモをもっていたように思う。」と述べているところである。

(二) 又小林一覧表(17冊)は、小林忠三の証言によると、野村証券に売却して交付を受けた代金と被告人の別名口座の入金との結びつきを調査した結果であるが、仮にそのとおりの結びつきが存在するとしても、菊池六輔もいうように、その際被告人との間にあった貸借関係をすべて清算して元利とも返済したというのであるから、その返済分の入金が当然に含まれており、それとの区別が明らかにできない以上被告人の所有する株の売上金がどれだけ含まれていたか認定するに困難である。

(三) ところで証拠によると、次の株については、菊池六輔の所有株の売却が含まれていると認められる。

(1) 菊池六輔に株主名義を変更して同人名義で売却された一〇万一、二〇〇株については、同人も証言で認めるように同人の所有株であると認められる(被告人が自己所有株をわざわざ菊池名義にするとは特段の事情のない限りありえないと思料する。この点小林一覧表によると、その代金は吉村東照口座に入金になっているが、二人の間柄であるから清算する際いかようにも操作できたものと思われるので右認定の妨げとはならない。)。

(2) 又西田明細表最下欄の二万六、九〇〇株についても小林忠三の証言調書によると、菊池六輔の所有株の売却分であると認められる。

(3) さらに西田明細表上から八らんの桑原彦二郎売却名義二万六、五〇〇株については、先に認定した如く、桑原彦二郎が、菊池六輔に譲渡したものであって、それを野村証券に売却したものと推認できる。

(4) その余の島崎、吉村、二村、江川の株主名義と売主名義の一致する株については、前述のように、菊池六輔が担保に供した株とみられる余地も多分に存するが、断定はできない。その他のいわゆるバラ株についても同様である(菊池六輔もいうようにいわゆるちょうちん株と見られるものも含まれているとみられる。)。

4. 総合的考察

以上認定・考察したところを総合すると、被告人が証券会社に対し、直接注文を発して昭和飛行機株を買入れたという事実は、ついにこれを認めることができない。実質上の買主という観点から、少なくとも代金を直接に証券会社に支払った分については、被告人が菊池六輔を通じて買入れたものであるという見方がとれないでもないが、被告人の供述や菊池六輔の証言にあるように、それは菊池が証券会社に対して支払うべき代金の立替払であって、菊池に対する債権の担保として当該株券を受取っていたものとみられる余地が多分にある以上否定せざるをえない。被告人と菊池六輔との間にいわゆる損益分担契約ないしは共同買入契約が存在し、それに基き菊池六輔が発注していたという見方も考えられないでもないが、それについての証拠もない。実際には、菊池六輔が証言調書(五冊)で述べているように、発注した後日両者の間で話し合い、担保株中被告人の取分(被告人が菊池から買取るということになる。)としたものも相当あったのではないかと窺われる(被告人の大質(32・8・30付)には、菊池から分けてもらった株がある旨述べているし、被告人の手帳と認められる符145号の手帳「32年日記」の1月11日のらんに「菊池のところに朝行く。ラインを四七、〇〇〇株単価八五円にて譲受け、代金を支払った。」旨の記載があるが、両者間でそのような売買も行われていたことが窺知できる。)のであって、そのことは、加藤義之、小林忠三の各証言調書(なお小林一覧表参照)及び「預」-223丁、224丁、194丁、196丁等の記載等で被告人の別名口座とみられる富士銀行新橋支店虎ノ門出張所の吉村東照口座等に、野村証券が代金として振出した小切手が他の小切手等に転換されて入金になったのではないかとみられる高額の入金が認められるのであるが、その入出金の差額から推して、菊池六輔からの利息収入として考えられる額を相当上廻っていることからも大量観察的見地からはいえるのであるが、その譲渡の日時、数量、代価等を把握するということになると、それを確認するに足りる証拠は全くといっていいほど存しないのである。

以上の次第で結局、被告人が買入れて菊池六輔を通じ野村証券に売却したと認められるのは、先に二、1、(二)の(6)項で認定したように、八月三〇日有賀宣治より買入れた一万六、〇〇〇株と九月二七日井上扱(黄金を含む。)四万三、〇〇〇株(いわゆるバラ株)にとどまるのであり、合計五万九、〇〇〇株中少くとも検察官主張の期末棚卸分五〇〇株を除いた五万八、五〇〇株については、被告人の一旦所有に帰した株として、野村証券に菊池を介して売却したものと認定できるのであるが、証拠上認定できるのはこの範囲にとどまるのであって(野村証券への売却代金の領収証はいずれも菊池六輔が発付していることは関係証拠により認められるが、右認定の けにならない。)、それ以上に被告人が昭和飛行機株を買入れて野村証券に売却した事実については証明不十分であるといわねばならない。なお符8号の手帳(池田銀行)は、山田隆が記録したものであるが、その九月三〇日のらんに「中尾氏は東京から帰って来た。昭和飛行機の乗取りに失敗したが三人で一億円程もうけたという。五四万株買占めて三八〇円の割で会社に売った。買値は、平均二二〇円、菊池と上村と中尾の三人で、中尾は四分で貸し、その上に分け前をとった。」旨記載されているが、果して被告人が山田隆にそのように言ったのか被告人は公判の供述でこれを否定しているし(一〇一<公>)、上村というのは果して誰を指すのか山田隆(証言調書22冊)も記憶がないと供述しているので、いずれも明確にできないが、右記載の趣旨も被告人が昭和飛行機の株取引に関し、本来は、菊池六輔に対して金を貸したものであること、その上で分け前をとった分もあるということであれば、前記認定と必ずしも大きく矛盾するものではないと考える。

三、 金門製作所

1. 検察官は、「有」-26丁ないし28丁で、被告人は、金門製作所の株を三興証券福井光口座、大福証券吉田一郎口座、三伸証券島崎口座のほか上野美治、井上政雄らから計一九万八、六〇〇株を仕入れ、「有」-4、5丁のとおり大部分は丹沢善利に、一部は三伸証券(島崎口座)に対し、合計一七万一、七〇〇株を売却し、同年末二万六、九〇〇株の棚卸があったものであると主張するが、

(一)  大福証券吉田一郎口座が被告人の口座と認められないことは前説示のとおりであり、三伸証券島崎口座についても同口座は被告人のものであるとする三木喜太郎の上申書及び同人の検調(14冊)、大質(14冊)も、前説示のように菊池六輔の証言調書(5冊)等に対比し、直ちに措信しがたく、又三興証券福井光口座についても、同口座が被告人のものであるとする菊池正之助の上申書は、前説示のように井上政雄の証言調書(5冊)等に対比し、直ちに信用しがたいし、他にこれらの口座が被告人のものであると認めるに足る証拠もない。

(二)  そして、吉村東照方で右各口座仕入分に関する売付、買付報告書が押収されたものが存するが、被告人が主張する担保として株を受領した場合、同時にこれらを受取る場合もあるので、それを以って直ちに被告人が仕入れたものとは推認できないし、又証券会社の入出金と被告人のものと推認された銀行預金口座との結びつきも十分に立証されたものとは認めがたい。

(三)  次に、上野美治からの仕入分については、同人の証言調書(4冊)によると、同人は同人名義で注文した金門製作所の株は菊池六輔の依頼により菊池にやったのであって、査察官の調べがあるまでその代金が三井銀行銀座支店の吉村東照の小切手で支払われているということは知らなかったということであって、被告人が上野から仕入れたものとは認めがたい。他に被告人が同人から仕入れたことを認めうべき証拠もない。

(四)  「有」-28丁の一〇月二五日有賀宣治から井上を通じ五万株、黄金から井上政雄を通じ一万三、八〇〇株を被告人が買入れたとする分については、証人井上政雄の証言調書(38・4・25、5冊)と吉村東照方から押収された井上政雄の中尾宛金五七〇万円(金門五万株代金)の受取書と右黄金の中尾宛金一五七万六、二〇〇円の受領書(符142号中の検領第53号証第139の1の2枚)及び「預」-197丁の6、7の記載をあわせ考えると、被告人が一〇月二五日井上を通じ有賀、黄金の両名から同一の機会に右株券を右代金で買入れたものと認められ、これをくつがえすに足る証拠はない。

(五)  証人丹沢善利の証言調書(4冊)によると、同人は、金門製作所の小野田社長から依頼されて同株四〇万株位を田島将光と交渉して同人から小野田社長に譲渡する周旋をしたのであって被告人から買取ったものではない旨、又田島将光の検調(17冊)によると、菊池六輔から頼まれて金門製作所の株の名義人になることを承諾し、株券譲渡に関する委任状を同人に渡したこと、丹沢から売ってくれといわれたので菊池に連絡して五〇万株位代金は忘れたが丹沢に売却し、その代金は一旦自分の口座に入れてから、小切手を振出して被告人に渡した旨、又、金門製作所の常務鈴木廉治の大質(17冊)によると、「一二月二日ころ来社した田島と協議し、単価一三七円で三五万株、そのあと単価一二〇円で七万株、単価二一一円で八万株、合計五〇万株を代金六、六〇三万円で関連会社志村産業(株)名義で買取ったものである」旨各供述している。この点について菊池六輔の証言調書(5冊)では、「約五〇万株買い集め、単価一三七円と一二〇円と二回にわたり売渡したが、そのうち一〇万株位は、被告人の持株である。この株の売買では結局自分は損をした。被告人の場合は一ぱい一ぱいである。」旨述べており、前記各供述とあわせ考えると、菊池から田島を通じ田島の名で丹沢(実質的には金門製作所)に対し右五〇万株の売買が行われたことが認められる。

しかしその中に「有」-五丁記載のように九万九、六〇〇株或は菊池のいう約一〇万株が含まれていたという点については、菊池自身納得のいく説明をしていないし、同人の検調(14冊)でも同様であり、ノート(符141号)の記載によるも必ずしも明らかにされていない。

(六)  次に棚卸分であるが、なるほどノート(符141号)の2丁に金門として二六、九〇〇株と記載されているが、「富士商事kk」とあるその見出しが果して何を意味するのか必ずしも明らかでなく、担保として被告人が提供を受けた株券を表示するものとも解される余地もあり、直ちに期末棚卸分に該当するものとは認めがたい。

(七)  「有」-28丁には、仕入分として計五万六、二〇〇株という大量の推定仕入を計上しているが、被告人の銀行預金との結びつきも明らかにされておらず、推定の根拠も十分ではない。

(八)  検察官は、その論告要旨32丁において、弁護人提出の被告人の答弁書(追加分第三)添付第二表貸倒貸付金一覧表進行番号1ないし20、九枚)について、その合計六、二三五万四、〇〇〇円は、菊池六輔が金門製作所の株を買収する資金等として被告人からこれらの株を担保として手形を振出し被告人から借入れた金額と認められるが、菊池六輔の証言調書、検調、大質によれば、同人は、これらの借入金の大部分は金門製作所の株を売却した際に返済したと供述しているところであって、三一年一二月末日までの被告人の菊池六輔に対する貸付金残高は金一、五四二万九、七六〇円であると認められると主張されるのであるが、被告人の同株の仕入代金とされる金二、四二〇万八、五八〇円を仕入株数一九万八、六〇〇株で割ると、一株が約一二一円となり、菊池六輔は、七掛もしくは七掛半でこれを担保に供していたといっているから、七掛半として、九〇円の割合で右六、二三五万四、〇〇〇円を貸付けるには、菊池は、計算上約六九万株を買入れねばならないことになり、同人が売却したという五〇万株を優に超過することになる。勿論右貸付金六、二三五万四、〇〇〇円の中には利息金が含まれているであろうし、菊池六輔が右貸付金で仕入れた株の中には他の銘柄の株も含まれており、又同人の仕入平均単価は必ずしも、右単価と同一とはいえないから、右の点はあくまでも一つの目安であり、概算にとどまるが、この点からも検察官の主張は首肯しえない点がある。

2. 以上考察したところを総合しまとめると、金門製作所株については、一〇月二五日有賀宣治、黄金政雄から井上政雄を通じ計六万三、八〇〇株を買入れたことが認められ、その全部又は一部を菊池が被告人に担保に入れていた株と合わせて田島を通じ、一回又は二回にわたり、丹沢に前記単価で売却したことが推認されるが、その余の株の点については証明が十分でないといわざるをえない。

四、 明治皮革

検察官は、「有」-29丁で同株の仕入は、三伸証券島崎口座、大福証券吉田一郎口座から被告人が仕入れたものであり、売却は、「有」-6丁で三伸証券の島崎口座でしたものと主張するが、右各口座が被告人の口座であるとは前説示のように直ちに認めがたく、吉村東照方から、それに関する売付、買付報告書及び計算書が押収されていることは、符142号により認められるが、被告人が菊池六輔から担保として預ったものであることを裏付けるに足る野村証券の菊池六輔宛31・12・27二三万四、八〇〇株一、七六一万円の売付報告書も同所から押収されているし(符142号の7)、入出金と被告人の銀行口座等の結びつきも必ずしも十分に立証されておらず、従って前記の取引が被告人の売買取引であると断定するには証明十分でない。」

五、 東亜港湾

検察官は、「有」-30、31丁で、同株の仕入は、三伸証券水野口座、島崎口座から被告人が仕入れたものであり、売却は、「有」-7、8丁で、三興証券武田明口座、大福証券吉田一郎口座、三伸証券島崎口座でしたものと主張するが、右各口座が被告人の口座であるとは、前説小のように直ちに認めがたく(右武田明口座については、菊池正之助の上申書でも菊池六輔の口座であるとしている。)、入出金と被告人の銀行口座等の結びつきも必ずしも十分に立証されたものとはいえないし、吉村東照方からそれに関する売付、買付報告書及び計算書が押収されているが、被告人の、右については菊池六輔から担保として預ったものであるという供述を排除して、被告人の売買取引であると断定するに証明十分とはいえない。

六、 三井埠頭

検察官は、「有」-32丁、33丁で同株の仕入は、大福証券の吉田一郎口座、三伸証券の島崎口座から被告人が仕入れたものであり、売却は、「有」-9丁で被告人が三伸証券島崎口座でしたものと主張するが、右各口座が被告人の口座であるとは、前説示のように直ちに認めがたく、吉村東照方で、それに関する売付、買付報告書及び計算書が押収されていることは符142号により認められるが、被告人が菊池六輔から担保として預ったものであることを裏付けるに足る野村証券の菊池六輔宛31・11・27付一万二、五〇〇株、二〇〇株、五万七、〇〇〇株の三通の売付報告書が押収されているし(符142号の7)、入出金と被告人の銀行預金との結びつきも必ずしも十分に立証されておらず、かつほとんど推定売上であるので、右の取引が被告人の売買取引であると断定するには証明十分ではない。

七、 大同石油

検察官は、「有」-34丁で同株の仕入は、三伸証券中尾口座、福田口座、山一証券中尾初二口座で被告人が仕入れたものであり、売却は、「有」-10丁で三伸証券中尾口座でしたものであると主張する。右中尾(初二)口座が被告人の取引口座であることは被告人の自認するところであり(112回<公>、27冊)、前出三木喜太郎上申書及び山一証券回答書(14冊)により裏付けられる。しかし福田口座については、被告人の否認するところであるし、この点についての右三木上申書は、必ずしも、的確なものではなく、被告人の銀行預金との結び付きも認められないので、右の取引が被告人の売買取引と断定するには十分ではない。

八、 東洋埠頭

検察官は、「有」-35丁で同株の仕入は、三伸証券島崎口座から被告人が仕入れたものであり、売却も同口座でした(「有」-11丁)ものであると主張するが、右口座が被告人の口座であるとは、前説示の如く直ちに認めがたく、吉村東照方から、それに関する売付、買付報告書及び計算書が押収されていることは、符142号により認められるが、入出金と被告人の銀行預金等の結びつきは必ずしも十分に立証されておらず、右の取引が被告人の売買取引であると断定するにはなお十分でない。

九、 大同コンクリート

検察官は、「有」-36丁で同株の仕入は、大福証券吉田一郎口座で被告人が仕入れたものであり、売却も同口座でした(「有」-12丁)ものであると主張するが、右口座が被告人の口座であるとは、前説示の如く直ちに認めがたく、入出金と被告人の銀行預金等の結びつきも必ずしも十分に立証されておらず、ノート(符141号)によるも、単価八四円で四、〇〇〇株を被告人が仕入れたものとその記載から直ちに推認することは無理があるし、右の取引が被告人の売買取引であると断定するには証明十分とはいえない。

十、 吉富製薬、共同印刷、島津製作所、日本ホテル、品川製作所、鐘ケ渕機械、大阪変圧器、日本化学、帝人製機

検察官は、右各銘柄の株は、「有」-37丁以下の大福証券吉田一郎口座、三伸証券島崎口座、水野口座、錦証券の大崎、中西、富山、早川、井上、福原、小西、渡辺、林、吉村各口座で被告人が仕入れ、三一年一二月末日現在保有していたものであると主張するが、右大福証券吉田一郎口座、三伸証券水野口座が被告人の口座であるとは、前説示のように直ちに認めがたく、吉村東照方からそれに関する買付報告書及び計算書が押収されていることは、符142号により認められるが、それを以って直ちに被告人が仕入たものとはいえないことも前に説示したところであるし、証券会社の入金と被告人のものと推認される銀行預金との結び付きも十分に立証されているとは認め難いし、ノート(符141号)の記載を以って右は被告人が三一年度に仕入れた自己所有株であり、とくにその2ないし6丁の記載を以って被告人の三一年一二月末日における保有株を証明するに足るものであると推認するには無理があると思料する(右はメモ書きにすぎず、他から担保に取っている株とみられる余地がある。)。されば結局、検察官の主張する右銘柄の取引及び期末棚卸高については証明が十分になされたものであるとはいえないと考える。

十一、結論

1. 以上有価証券の売買について考察したのであるが、結局、被告人の取引として証拠より確認できるものは、

(一)  昭和飛行機株

(日時) (相手方) (株数)

(1) 買 31・8・10 有賀宣次 一六、〇〇〇株

(2) 同 31・9・27 井上扱(黄金を含む) 四三、〇〇〇株

(3) 売 31・9・26から31・9・28まで 野村証券 五八、五〇〇株

(二)  金門製作所株

(1) 買 31・10・25 有賀宣治-井上政雄 五〇、〇〇〇株

〃 黄金政雄-井上政雄 一三、八〇〇株

(2) 売 一二月中 丹沢善利 六三、八〇〇株

(三)  大同石油株

(1) 買 311・1・10 三伸証券 一〇、〇〇〇株

(2) 同 31・1・14 山一証券 三〇、〇〇〇株

(3) 売 31・1・31 三伸証券 四、〇〇〇株

(4) 同 31・2・6 同 一〇、〇〇〇株

にすぎない。ほかに被告人が記録したものと認められるノートブック(符141号)、手帳(符144号)、手帳(符145号)等にも株の取引のメモと窺われる記載が散見されることや山田隆の証言調書(2冊、22冊)により同人が記録したものと認められる手帳二冊(符8、9号)にも被告人が株式の取引を手広くやっていたのではないかと疑われる記載もみられるが、被告人は株券を担保として菊池六輔等に対し貸付を手広くやっていたことも事実であるから株式に関する右のような記載が右ノートブックや手帳等に存するからといって直ちに被告人が売買の主体となって株式取引していたと認定することはできない。

2. ところで、当時施行されていた所得税法は有価証券の譲渡に因る所得は、原則として非課税とされていたが、その六条において「左に掲げる所得については、所得税を課さない」とし、その五号は「九条一項八号に規定する所得のうち有価証券:::の譲渡に因るもの」と規定し、同法九条一項八号は、譲渡所得を「資産の譲渡に因る所得(前号に規定する所得及び営利を目的とする継続的行為に因り生じた所得を除く。以下譲渡所得という。)」と定義している。右各規定を合理的に解釈すると、有価証券の譲渡に因る所得であっても、それが事業所得または雑所得に該当する場合は非課税にはならないものと解すべきであると思料する。

さて被告人のなした取引が営利を目的とした継続的取引に該当するかどうかということになると、被告人は、上来説示したように当時相当手広く株の取引をしたのではないかと窺われる面も存するけれども、証拠上確認できるのは僅かに前項掲記の取引にすぎないのであるから、年間における取引が、回数において五〇回以上であり、かつ取引総株数において二五、〇〇〇株以上である者が行なう取引は、継続的取引たる取引と認める旨の二八年一二月二六日の通達の趣旨に照らしても、又関係証拠によって認められる。被告人が当時金融業と料理旅館業の本業を有し、そのかたわら株を取扱っていたとしてもそれは主として株を担保にして金融をしていたものである点から考察しても、末だ営利を目的とする継続的株の取引をしていたものとは認めがたいものといわざるをえない。されば前記株の売買による所得は、事業所得又は雑所得の対象とはならず、非課税のものとなるといわねばならない。

(確定裁判)

被告人は、昭和三八年一一月二八日名古屋高等裁判所において、背任、業務上横領教唆の罪で懲役一年に処せられ、右裁判は同四〇年九月五日上告棄却決定により確定したもので、右事実は検察事務官作成の前科調書によって認められる。

(法令の適用)

被告人の判示各所為は、いずれも昭和四〇年法律第三三号所得税法附則三五条により適用される昭和三七年法律第六七号による改正前の旧所得税法六九条一項に該当するところそれぞれ所定懲役刑及び罰金刑を併科することとし、刑法四五条前段及び後段によれば、右各罪と前記確定裁判のあった罪とは、併合罪の関係にあるので、同法五〇条によりまだ裁判を経ない判示各罪につきさらに処断することとし、懲役刑については、同法四七条本文、一〇条に従い、犯情の重い判示第二の罪の刑に法定の加重をなし、罰金刑については、昭和三七年法律第四四号所得税法の一部を改正する法律附則一五条により同法によって削除される前の旧所得税法七三条が適用される結果右各罪につき各別にこれを科することとし、その刑期並びに金額の範囲内において、被告人を懲役五月及び判示第一の罪につき罰金七〇万円、判示第二の罪につき罰金一三〇万円に処し、刑法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から二年間右懲役刑の執行を猶予することとし、被告人が右各罰金を完納することができないときは、刑法一八条一項によりそれぞれ金一万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとする。なお訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文を適用して主文第四項の分については被告人の負担とする。

よって主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 水谷富茂人 裁判官 三関幸男 裁判官 小林美)

別表1

金融業(30・1・1~12・31、31・1・1~12・31)

<省略>

別表2

料理旅館業(31・1・1~31 12・31)

<省略>

税額計算書

<省略>

別表4

訴訟費用負担表

<省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例